ぼくらのペンは、剣であって。
ぼくにしては珍しく、タイトルに結論をもってきた。書こうとしていることは、そう。ぼくらのペンは剣であるから、いつだれを傷つけることがあるかわからない。だから、つかうときはいつも慎重でいようね、ということ。
言いたいことはこれだから、結論だけ知りたい人はもう戻って大丈夫。
ここからあとは、タイトルに即してちょっと思っていることを書いていきます。
マリナさんが、こんなnoteを書いてくれた。
ここ数ヶ月、ちょっとnoteを楽しめないなぁと思う出来事が頻発しました。
コミュニティの中で、私が「カースト上位にいる人間」として疎まれることが増えたのです。
マリナさんのnoteから引用。
この中身をぼくは具体的には理解していない。いったいどんな「石」が飛んできたのか、「界隈のモヤモヤ」の、その正体は。
このnote、読んだ人、多いと思うけど。いつも、驚かされる。背筋が伸びる。言うべきことを言う勇気、一歩引いて分析できる目線。すごいなぁと思う。この人と、つながっていることができてよかったと思う。思うから、だから、これにたいして考えた、私見100%のアンサーnoteです。
で、さやかさんもこれを受けて書いてくれた。勇気を出して書いてくれたんだろうなぁ、と思うから、これもシェア。
◇
さいきんnoteを書くこと、この場にいることに疲れを感じる。
そういう声が以前より多く聞こえるようになった気がしている。さて、具体的にはなんだろう。ぼくが思うところ、大きな要因はよっつ。
①noteから羽ばたいた人が増えたこと
②noteのフィールドを超えた交流が盛んになってきたこと
③noteの私設企画が増えたこと
④noteとtwitterを連携させている人が増えたこと
①noteから羽ばたいた人が増えたこと
noteがきっかけで、メディアに記事を書くことができるようになった。作家としてデビューした。連載をもった。そういう人が、増えた気がしている。今まで仲良くしていた人が急に雲の上の存在のように思えたとか、経験ある人もいるんじゃなかろうか。「それに比べて自分は...」なんで思ってしまって、こころ穏やかではいられない人もいるはずなんだ。
②noteのフィールドを超えた交流が盛んになってきたこと
たとえばzoom。事情があって顔出しができない。ネット環境がよくない、時間が合わない、体調がすぐれないなどの理由で、そもそものスタートラインに立てない人がいる。書くことは好きで得意でも、顔を見て話すことには抵抗があるという人がいる。淡々と文字に乗せて自分を届けるnoteとはまったくちがう場所で、みんなが交流を深めている。今までそんなことなかったのに。疎外感をもつ人が、きっといる。
③noteの私設企画が増えたこと
イベントというものは、だいたい疲れるものだと思う。参加しても企画しても、ふだんとちがうことをしているわけだから、それは疲れる。「選ばれる/選ばれない問題」を筆頭に、企画というものは波風をたてやすいものだ。これはいい悪いの話ではなく。順位づけしない(=コンテストではない)企画だって、それは明確にあるから。
④noteとtwitterを連携させている人が増えたこと
好きなnoteをシェアする、という流れって、ここ一年くらいじゃないだろうか。つながるきっかけがほしい。自分のnoteをより多くの人に届けたい。必要に迫られて、もしくは望んで、これらを連携させるようになった人は多いのではないだろうか。
今この中でいちばん大きな原因となっているのは、③。次いで②。どうだろう。たぶん異論はないんじゃないかな。
だからこのふたつについて深堀り...は、しない。どんな問題も、根本にあるのは同じことだから。
みんながnote(と、その周りにある環境)を楽しむためにはどうすればいいだろう。
何度でも書くけれど。
やっぱりそれは、お互いを尊重して、気をつかって、言葉を丸くしていくしかないんだよ。
ちょっとまとめて書いておく。自治会規則じゃないけれど、困ったときのリマインダー的なものとして。何事も、迷ったら原則に従うべきなんだ。
~だいすーけ的街の平和を守ろう原則集~
一 ここでは、だれにでも自由に表現できる資格がある(ここにいていい)
一 ここでは、他人の考えに拘束されない自由がある
一 何かについて評するときは、事前に断りを入れるなど問題の発生を少しでも減らすことを心掛ける
一 (作品以外では)できるだけポジティブ変換した言葉を使用する
一 投稿する内容が誰かを無用に傷つける可能性がないか、投稿の前に見直すことを忘れないようにする
一 価値観が違う人がいるということを忘れないようにする
一 疲れたときは、SNSから離れる時間を努めて確保する
一 難しい問題に直面したときは、公共の場(タイムライン)で直ちに公開せず身近なユーザー(もちろん友人家族でも)に相談をする(ひとりで抱え込まない/衝動的に動かない)
一 定期的にzoom会議をする(これこそ自治会的な/周りで起きていることの共有、改善のための話し合いなど)
一 みんながいて自分がいる、という大原則を忘れないようにする
どうですか。
そこの鼻で笑ったアナタ!つまらないでしょ。こんなの、つまらないでしょ。この表現の自由の場で、ぼくらは何が悲しくて委縮しなきゃならない。ぼくらは何が悲しくて、離れていかなきゃならない。
経験あるでしょ。好きだったあの人が、いつの間にか書かなくなっていた。いろんな理由はあるけれど、見切りをつけて離れていった人だっている。がんばっているだけなのに苦しい。楽しみたいだけなのにつらい。大好きなあの人が、いわれのない誹謗中傷に苦しんでいる。ちょっとよくわからないけど、あっちでザワついてる。助けたい、話を聞きたい、でも難しい、勇気がない、自分が狙われたらどうしよう。
ぼくは、みんなで楽しみたいんですよ。ぼくは、じゃない。ぼく「も」。
たとえばね、コンテストをやるんだったら主催は順位をつけることの重さをしっかり受け止めて。説明に説明を重ねて。参加するのであればちゃんと企画概要を読んで理解して、「参加させてもらう」「楽しむ」気持ちを忘れずに。だれかが正当に出した成果には「おめでとう」を。言ってもらえて嬉しかったことには「ありがとう」を。
人が増え、時間が経過し、これまでの「ふつう」が変わる。そのときの常識的なものが通用しなくなる。そうした流れは必然で避けられないから、だからこそなんですよ。変わっていくものの中にこそ、変わらないことを。大事にしたいなと、思うんだよね。
ぼくらのペンは剣であって、いつでも簡単に人を刺すことができてしまうから。その刃は、困ったときに鞘からちらりと見せるだけでいい。振り回さなくても振りおろさなくても、その切れ味のよさはわかるから。ぼくらは、鞘を磨くことをしようよ。
これだけ文字数費やしたわりに当たりまえのことしか書いてなくてお腹がすきました。でも、どんなに頭をひねってもこれしか出てこない。あとは大御所にお任せします。
マリナさん、考えるきっかけというか、それを文字にするきっかけをくれてありがとう。
あとは、ちょっとフォローを入れておきたいんだけど...。
これを書いていて、別にだれにたいして怒っているとか、まったくありません。ときに合わないことがあっても、基本的にはみんな良かれと思ってやっていること。お互いの正義や流儀がぶつかって、よりよいものに昇華できればいいんだけど、そうじゃないこともあるから。
居心地のいい場所でありたい、きっとみんなが願っていること。
そのためにできることがあれば、ぼくだって力になりたいんだ。
ぼくはちょっと言葉を大きくする癖があるなぁ。「みんな」ってたくさん書いている。でも、「みんなで楽しみたい」の「みんな」はやっぱり「みんな」であって。
重ねて書いておくけれど。
だからここで、すこしでも長く、みんなと仲良くしていたいんだ。
おつきあいありがとうございました。
今日書いたことの関連note。内容たくさんかぶっているのでどうぞ。
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