その環はきっと、すぐそばに。
何気なくポストを開けた、そこには一通の、手紙がはいっていた。
昨日も書いたけれど、「教養のエチュード賞」に応募した作品は、100%自分を通すことができたと思っている。「エチュード(習作)」だから気軽に書いてよかったはずだった(もちろんそれでいい)、それでも、何とも力がはいった。
それはなぜかと考えれば、書いたものを本気で受けとってくれることがわかっていたからだ。大切に、手にとってくれることがわかっていたからだ。どんなに難解(自分本位という意味で)でも、どんなに話が飛んでも、どんなに振り回しても。きっと嶋津さんは、受けとめてくれる。信頼していた、だから、それができたんだ。
届いた手紙の内容について、書くことはしない。ここではすべての人にオープンだから、読んでもらえたらいい。ぼくはこれを何度も読み返し、大切に宝箱に収める。ひとつの作品と、それを受けとめてくれた言葉。もちろんぼくだけではない、これからもたくさんの手紙がタイムラインに散りばめられるのだろう。そして、書いてよかったと、こころから思ったたくさんの人たちの満ち足りた表情が、もうぼくには見える気がするんだ。
言葉を尽くして贈ってくれた手紙にたいして、これ以上ないほどの月並みな言葉で返すことになるのが少々こころ苦しいけれど。
嶋津さん、ありがとうございました。
美しくて尊い、お手紙をいただきました。
じわ、と、土にしみ込む水のように。
贈られた言葉が、身体を廻る。
回って、戻る。それをまた、廻らせる。
ぼくの中で、そして、触れた人の中にも、廻っていく。
果てしない循環の、その一部であり全部を、味わう。
この体験は、特別であって、特別ではない。
届けたいとこころから思った言葉を形にした人なら、だれでも味わうことができる。
その環はきっと、すぐそばに、ある。
◇
第三回教養のエチュード賞の応募期間は、今月いっぱいです。
詳細は、こちらのnoteを参照してください。
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