フライミー・トゥー・ザ・ムーン #リライト金曜トワイライト
彼女の横で、手を合わせていた。
線香の煙が、ダイヤモンドダストの輝きに紛れる。マイナス7度。
季節はずれの紅い花を挿そうとしたけれど、お墓の花挿しは凍っていてうまく挿せなかった。
北の大地の、空を見上げる。
ぼくは、何をしているのだろう。
市内へ帰るタクシーのなか、ぼくらは何も、話さなかった。
I
Want to
Fly...
◇
リフトを降りてスノーボードの板をはめているとき、転んでぶつかってきたのが彼女だった。白い帽子からこぼれた、ポニーテールの黒髪。何度も謝る彼女にぼくはすこし居心地が悪くなって、「いやいや、大丈夫ですから」と、逃げるようにその場を滑り去った。
一面を白に染め上げた世界の先、転んで景色に溶けていた友人に追いつく。雪の上にふたり両の手足を投げ出して、ニセコの空をただ仰いだ。空はどこまでも大きくて広くて吸い込まれてしまいそうなのに、ぼくらはそこに、すべてを委ねることができない。
東京。仕事。
ニセコの空も、ススキノの夜も。そのときを生きるのに精いっぱいだったあのときのぼくらにとって、それらはまるで味気ない銀幕に映し出される退屈なモノクロの映画のような、まるで現実味のない、どこか遠い世界のコントラストのように思えた。
あ...。
やたらと高いスキー場のカレーと生ビールを手にようやく見つけた空席のとなりに、白い帽子の彼女がいた。彼女と彼女の友人は、札幌のネイルサロンに勤めているという。おいしい店はどこか、流行っているところはあるか。きっとそんな、たわいのない会話だった。
お詫びにということで、ススキノで再度集合し、軽く飲むことになった。中年ふたりで見知らぬ街をうろつくよりは、全然よかった。連絡先を交換し、美味いのか不味いのかよくわからないカレーを生ビールで流し込んでぼくらはまた、どこまでも続く白の世界を滑った。
どこまでもどこまでも、ほんとうに、世界は真っ白だった。
Let me
Fly
◇
タイ北部。国境近くの町、チェンライ。
あの頃、2月になるとロードバイクのオフトレーニング合宿に連れて行ってもらっていた。脱皮するならこれしかねぇな、そう思って、参加をお願いした。
果てしなく続く真っ平らな道を毎日200㎞以上走るプロ選手たちについて、懸命にペダルを踏んだ。朝の8時から、夕方の16時過ぎまで。汗が乾いてジャージがまだら模様に白くなる。毎日ボロボロになるまで走った。
見たこともない景色が、どんどん流れていく。
きつかったけれど、しあわせだった。
走ってさえいれば。
止まることさえ、なければ。
I was
Still
Longing for...
◇
何もかもを失うと、青白い光が見えるようになる。
福岡から札幌まで、約2,000㎞。タイの合宿で走る距離よりは、全然長くなかった。
空っぽで何もない人生、色のない世界。
冬は終わりそうだったけれど、北の大地にはまだやってくるはずの春の気配が見えなかった。彼女に歩幅を合わせて、ゆっくりと歩く。何度も何度も転んだけれど、痛くはなかった。家族を失い、遠く田舎の親戚とも離れた札幌での生活は、分厚く積もった雪に埋もれてしまったクルマのようだった。実際彼女の軽自動車は、鈍色の輝きを放つつめたい雪の下に、そんなふうに、埋もれていた。
ガスヒーターを消す。
ササラ電車の走る季節、外はしんしんと積もる雪。まるで遭難した登山者のように、ぼくらは折り重なって、小さなベッドの上で互いを温めあった。
明けない夜はないなんて、だれが言ったのだろう。朝が来たって全然明るくなかった。小さく丸まって眠る彼女の、前髪のすき間から見える寝顔が好きだった。目覚めると彼女は、決まってぼくに抱きついてきた。その目はよく、涙に濡れていた。怖い夢でも見たのだろうか、それはわからないけれど、理由なんてどうでもよかった。
そうしていれば、よかった。
何も言わなくても、ただそれだけで、彼女の涙が乾く気がしたから。
Let me
Take
You to
◇◇◇
その年のタイ合宿は、4週間の予定だった。中間の土日がオフ日で、金曜日のトレーニングが終わるとぼくは、急いでシャワーを浴びて着替えた。日曜の夜には戻るから、手荷物はリュックひとつだけ。コテージのお爺さんが、ピックアップのトラックで空港まで送ってくれた。ロードバイクを必死に漕ぎながら見た景色が、マジックアワーに染まる。爺さんのへたくそな英語には難儀したけれど、”GOOD LUCK !!”だけは聞き取ることができた。親指を立てて、皺だらけの顔を余計にクシャっとさせて、笑って送り出してくれた。
ちいさなローカル空港は、人気もなく寂しい限りだった。荷物検査のゲートを抜け、がらんとした出発ロビーに腰を下ろす。
だれにとっても、その日は特別な一日だ。
ひとりの人間が、この世に生を受けた日。
彼女にとってのその日をとなりで祝わないなんて、ぼくにはそんな選択肢は、なかった。
乗り換えのスワンプナーム国際空港には、深夜にもかかわらず、人があふれていた。無駄に高くて不味いガオマンガイを食べたけれど、それも我慢ができた。
時差は2時間。今ごろ彼女は寝ているだろうか。LINEには、まだ深い雪の先に紅い花が映っていた。滑走路に光るオレンジ色の光、離着陸する飛行機たち。ラウンジに静かに響くエンジン音。ぼくは、どこまでもいける気がした。日曜の夜には戻ってくるのに、ほんの一瞬のことなのに、ぼくにはこれが、永遠の旅になるように感じた。
搭乗口が閉まり、機内のアナウンスが聴こえた。滑走路の番号を、ぼくはじっと見ていた。飛行機はやがて緩やかに加速をはじめ、身体が地面に押さえつけられるような感覚を覚えた。地上が、離れていく。飛行機が、闇のなかをぐっと旋回する。タイの夜景が、どんどん遠ざかっていく。
ぼくは、やがてやってくる朝のことを思った。
彼女を、つよく抱きしめよう。
そう思い目を瞑ると、まぶたの裏にあの日の紅い花がうっすらと浮かんだ。
飛行機は高度を上げ、さらに高く飛ぶ。
流れていく景色とともにそれは、ふわり過去へと流れていった。
そして、願った。
彼女の頬を伝った涙が、過去のものとなってくれることを。
彼女の頬を伝ったあのときの涙が、あの日の紅い花と同じように、もう戻ることのない、とおい過去へと流れていくことを。
Fly me to the Moon Darling,
In other words
Hold my hand
Let's fly to the Moon together Darling,
In other words
I love you so...
【了】
***
池松潤さんの企画に参加させていただきました。潤さん、ありがとうございました。とっても楽しかったです。
リライトしたのは、こちらのnoteです。
【追記】
今回のリライトのポイント
今回心がけたのは以下の点についてです。
①流れを変えない。あくまで池松さんの世界観から離れないこと(引くことはしても、足すことはしない)
②その中に自分の空気を落とし込めるところを探すこと
①読んでいただいておわかりいただけるかと思うのですが、元noteとあまり変わっていません。引くことはしても、足すことはしない。それをひとつの決まり事と設定して書きました。一か所だけ段落丸ごと入れ替えた場所がありますが、それ以外はそうなっているはずです。
②それじゃあリライトの意味ないじゃん、もちろんそう思うのですが、ストーリーの芯を変えずにぼく自身の色を出せるところに出そう。それを意識しました。改行を増やして、行間を開けました。語尾を「~ました」から「~だった」に変え、お話のテイストをもうすこし独白的(もしくは自身に宛てた手紙や日記)な印象にしようと努めました。
何でこの作品をリライトしたのか?
今回のお題note、もちろんすべて読みましたし、どれも甲乙つけがたく好きです。好きですが、どのお話も自分の人生経験にかぶるようなストーリーがなく、難しさを感じていました。ただこのお話にはひとつだけ、それがありました。ロードバイクが出てきます。趣味の範囲ですがぼくも好きなので、決してお話の本筋ではないかもしれませんが、これで一気に親近感がわいたというか、これで書きたい!と思わせてくれたというか。苦しんで走り抜いた先に見えた景色が、彼女のもとへと飛ぶ景色と重なって想像できた気がしました。
あとはもうひとつ、今回のお題noteのなかで、この作品だけが唯一「別れていない」んです。無事に会えたか、その後がどうなったかはわかりません。それでも、物理的にはこのふたりがいちばん「近い距離」のままお話が終わっている。お話の流れを変えずに「ふたりのその後」を思いながら書ける。そう思ったことも、大きかったと思っています。
「どんな所にフォーカスしてリライトしたのか」
リライトのポイントでも書きましたが、お話の流れをそのままに、それでいて自分の空気を落とし込むこと。あとは、抽象的ではありますが、別れないお話なので、お話の間じゅう、希望を灯し続けること。
『Fly me to the Moon』の歌詞からキーになる言葉を抜き、あるいはちかいと思う言葉をつくり、各段落のさいごに添えました。
飛びたい、飛ばせてほしい、願っている、あなたも一緒に。
そしてさいごに「愛」という言葉を入れました。
希望の灯が消えないような、そんな温かみを伴わせたままに書こう。
そう、意識しました。
おわりに
先週末に投稿された皆さんの参加作品を読んでなかなか縮こまっていましたが、参加することに意義があると信じて投稿させていただきました。
潤さんの作品、とても好きです。
結ばれなくても、かけがえのないもの。
もう会えないけれど、大切な人。
建前も本心も嘘もほんとうもぜんぶ、必要だった。何ひとつとして、無駄なことなんてなかった。
そんなオトナの恋が、ここには描かれていると思うから。
以上、リライト金曜トワイライトでした。
お付き合いありがとうございました。