23歳,女性,会社員3か月目
自分の周りにある世界の感覚をつかめなくなる前に死んでいたいなって思ってます。頭を使って考えて、五感を使って感知できている状況で終わらせたいなって。何でそう思ったのかよくわかんないですけど、延命治療したいとか、とにかく長生きしたいという思いはないですね。 命を無駄にしているのかって言われてしまうかもしれないですけれど、今問われて、率直にそう思いました。
高校と大学の時に留学したんですけれど、全く違う環境に行くと、当たり前なんですけど、いろんなことにびっくりして。嬉しいことも、悲しいことも、自分の中に湧いてくる感情に敏感になりました。ちょっとしたことでも感じているんだな、ってことに気づいて。
留学をきっかけに無意識だったことが意識化されるようになって、日本に帰ってきた今でもそれは続いています。感じたことをそのまま放置しておくと、どこかに流れて、自分がなくなっていくような気がするので、感じたことがあったらすぐメモに残すようにしていますね。iPhoneのメモを使うこともありますし、言葉だけではなくて絵にすることもあるし。それでもどうしようもない時はアウトプットするのをやめて大音量で音楽を聴いたり。音楽を聴くのは必ずしも“残す”ことにはならないんですけど、自分の感情を落ち着けた、ということがある意味、自分の感情と向き合った記録になっている気がします。
最近メモしたことは、コロナでみんなが外出していることについて。そして、今の状況下での人間の想像力について書いてました。そもそも人間の想像力ってどこから湧いてくるのだろう...個人の問題ではないのかもしれないな...みたいなことを、悲しみと共に書いてますね。3月25日くらいにみんなめちゃめちゃ外出てる時期あったじゃないですか。あのころに。
死ぬ瞬間の理想は....外がいいですね。自然の中とか。いや、外がいいというよりは家の中が嫌という感じかもしれないです。家だと社会と接続していない感じがするというか、誰にも知られないまま死んでいく気がして。屋外で不特定多数の人に見られてしまう方がいいんです。あ、でも人に限らないかもしれない。屋外の風とか、水とか、人以外のものとつながっていることが大事です。自然が多いところで育ったからか、普段から空気を吸いたい、日をあびたい、風を感じたいってことは多いです。東京にいると息苦しいなって思うことも結構あります。風がないから。
お葬式の理想は考えたことがあります。あまり重々しいお葬式ではなくて、軽いパーティみたいなことをして欲しい。チャイコフスキー「白鳥の湖」のこの曲!っていうのがあるので、それを流してもらいたい。
棺には、一つだけ入れて欲しいものがあって、これは本当に今考えたのではなくて、前から考えていたことですけど、これも空気です。スウェーデンの空気を瓶につめて入れて欲しい。北欧で吸った空気が忘れられなくて、どこかの空気を吸うんだったら留学中の空気を吸いたいなって。
空気を吸うと、ほかのものが何もなくても思い出すと思うんですね。こういうことがあったとか、感覚的に思い出す。だから空気を持っていったら全部持って行けることになると思うんです。