33歳,男性,美容師
僕は今年34歳になるんですけど、親父が58歳、おじいちゃんが60代中盤くらいに亡くなったんです。体って親からもらったものなので、寿命も近しいものになるんじゃないかって思ってます。
最近、子どもが生まれて、僕とあと何年一緒に居られるのか逆算してみたんです。親父と同じくらいで亡くなるとすると、あと24,5年で死んじゃう。「ああ、子どもが25の時に死んじゃうのか」って思ったんです。そう思いつつも、25年もあれば医療もかなり進むだろうし、運が良ければもう少し長生きできるのかなとも思いますけどね。
11年くらい前、親父が病気で倒れた時、初めて「自分の親も死んじゃうんだ」って思いました。それまでは全くそんなこと考えたことなかったですけどね。親父は普通のサラリーマンで機械系の仕事をしていました。同じ会社で25年勤め上げて、あともうちょっとというところで死にました。逆に言うと現役でなくなった。本社でバリバリ勤めていたけれど、病気をして倒れ、子会社に異動してからは、ゆっくり働くようになりました。
それから10年経って、ちょうど1年くらい前になるんですけれど、父親が死んだ時に「当たり前に明日はくるとは限らない」っていうのを意識しましたね。
「死」っていうものは、誰にも教えてもらえない、運命のようなものなんだと思います。大きな運命の波みたいなものがあって、それに飲まれたら死んじゃうだと思います。自然の力だから逆らえない。
逆に生まれるのもすごい確率じゃないですか。子どもが欲しいけど、できない人もいる。それも運命かなと。
誰にも迷惑がかからない状態まで回復できるっていう約束があるならば、延命みたいなこともありかな、と思いますけど、己の力で好きなものを食べられない、好きなところに行けないくらいだったら、僕は運命に任せたいかなと思います。
本来はガンになったらみんな死んじゃうはずじゃないですか、早期発見で早く見つけられて今健康ですっていうのだったらいいんですけど。人に迷惑かけるくらいだったら僕は死んじゃいたい。
例えば奥さんがそういう状態だったらすごく考えちゃうな。極論で言うと、「植物状態で意識が戻るかわかりません」って言われたら一年くらいは様子を見て、奇跡を信じようと思うかもしれません。春夏秋冬、四季を感じてもらって、それでもダメだったらやめちゃうかもしれない。本人は喋れないから、自分で意思を確認できないし、逆にかわいそうかなっていう気がしちゃうから。親父も実際、「人工呼吸器を外さなければ生命維持はできます、そのスイッチを切った瞬間に自力では生きられない状態です」って言われて「考えておいてください」って言われたんです。物理的には人工呼吸器で呼吸をさせていたら生きていられるけれど「もう自然にしてください」って言いました。人工呼吸器をつけているのも大変で、楽じゃないみたいだったので、かわいそうだなって思って。それで亡くなっていきましたから。
やっぱり大きな波があって、流れがあって人って生きていると思うんです。だから、何があるか分からないけど、逆らえないと思います。「死に方」よりも「何年生きられるのか」を意識して生きるのがいいなと思いました。「新しい赤ちゃんとの限りある時間、いつまで一緒に過ごせるかな」って思って。じゃあ25年、どう生きるかって考えるとやっぱり好きなことがしたい。死んじゃう時に「大体のことやり尽くしたな、じゃあ、さよなら」という風に死んじゃいたい。時間を無駄にしないように。
あとは子どもが将来どうなるかを見てみたい、どんな奥さん連れてくるんだろうとか、どんなことに興味を持つんだろうとか。現実問題、お風呂入れて、ご飯作ってっていうことに手一杯ですけど。子どもたちが出て行ったら、最初の頃みたいに奥さんと2人になるので、どう過ごそうか。具体的に考えているわけじゃないですけど、ぼやーっと頭の片隅でこういう意識があります。