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守ることもできないこの世界ってやつは

高校球児の晴れ舞台、甲子園。未曾有の事態で泣く泣く中止になってしまったあの日から1年、彼らはようやくあの場所に帰ってきてくれた。

野球のルールすら知らなかった私も、高校時代に野球部が甲子園に連れていってくれたのをきっかけに毎年テレビで観戦している。やっぱり人生を懸けて球を追う球児たちはいつ見ても眩しいし、あの頃のことを思い出して胸がいっぱいになる。

とはいえ、やはり今年もこれまでのようにうまくいく大会ではなかった。

連日の雨による中止やノーゲームだけではない。選手の中に感染者が出てしまったからと、出場を辞退する高校も現れた。今のところ2校に留まっているけれど、ここからさらに増えるかもしれない、そうしたら大会すら成り立たなくなるかもしれないという不安は募るばかり。

その一つに、選手たった一人の感染で出場を断念した高校がある。その理由は、出場すれば感染した個人の特定につながるから。その個人の特定によって、選手の名誉や将来が危ぶまれることを避けたのだろう。トロッコ問題ではないけれど、仲間を犠牲にして一人を守ったのだ。

この判断に対して何かが言いたいわけじゃない。むしろ選手を一人でも守ろうとしたのは英断だとすら思う。ただ、そうでもしないと選手一人を守ることすらできないこの社会に嫌気が差してしまった。悲しくなった。


1年半前から、人間の汚い部分を腐るほど見てきた。県内最初の感染者とその家族は村八分をくらい住む土地を追われ、市内最初の感染者は新卒で職を捨てざるを得なかった。これは同じ日本での出来事だ。私の身近な地域で起きたことだ。あの頃は特にひどかったけれど、今ですら感染者はただの感染者として見てもらえない。

生死を彷徨うほど苦しんだかもしれないのに、その上まるで犯罪者かのように扱われ人生ごと変えられる始末。もちろん集団で飲み会をしていたり旅行をしていたりという対策の甘さで叩かれることがほとんどだ。でもだからといって、本当に悪いのは人間なのか?と思ってしまう。

ヒトはウイルスを運ぶ存在で、ウイルスはヒトに運ばれることでその数を増やし、力を蓄える。だからヒトの往来を極限まで減らせばウイルスは動けなくなる。それはそう。でもそうすることができないヒトを同じヒトが攻撃するのは、あまりにも滑稽だ。

何よりも悪いのはウイルスのはずなのに、見えない存在に直接恨みを向けるのは難しいからとその矛先を人間に変える。ネットでは人間同士の醜い争いが嫌でも目に入る。これもウイルスの思うツボなんじゃないかとすら思う。


だからみんな守りに徹する。青春を我慢する。仲間の未来を守るため、晴れ舞台にも背を向ける。それが正しいだとか間違いだとかじゃなくて、どうしてそこまでしないといけないんだろうとひたすら虚しくなった。

自分ばっかり我慢して、と憤る気持ちはわかる。あの人はあんなに遊んでるのに、と妬むこともたくさんある。どうしようもないこの状況への怒りをどこにぶつけたらいいのかわからない。みんなそんな気持ちと戦っている。

でも私たちの敵は人間じゃない。ここで私たちが争っていてもしょうがない。だからといって気軽に手と手を取り合うこともできない世の中だけれど、寄り添うことすら密ですと言われてしまうけれど、心の距離まで遠ざける必要はないと思うのだ。

どうしても許せないことがあったら吐き出してしまってもいい、良識の範囲内で。そうやって折り合いをつけて乗り越えるしかないのかもしれない。まあ、そうもいかないのが今の世の中だから難しい、本当に。まともな打開策は私自身も見つけられないままだ。だって相手はウイルスなんだもの。


ひとまず今は、今感じることができる密やかな幸せを追い求めるしかない。今日はすごく身近な高校が、甲子園で素晴らしい勝利を収めてくれた。

そう、今だって必死に青春している人たちがいる。まだまだ世の中捨てたもんじゃない。このご時世にも微かな希望があるということに気づかせてくれて、少しだけ前を向かせてくれる、それが今年の高校野球なんだと思う。

何よりも、感染してしまった高校生が無事に快復しますように。



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