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不毛な差別と偏見を好む人

日本語での「見た目」に関しての表現には一見矛盾するようなものがありますよね。

・見た目が肝心
最初に目にする見た目の第一印象がその後の評価や印象に大きく影響を与える。
・見た目で判断するな
見た目の要素だけではその人の本質を正確に理解することができないため、内面や背景、実力などをしっかり見ることが重要である。

しかし、この2つの表現は実際には異なる側面を強調しているだけで、必ずしも矛盾しているわけではありません。それと、これらの表現においては「美しさ」のレベルとは関係していないですね。見た目の差別、ルッキズムは異なるもの。

ということで、今回は差別、偏見についてChatGPTとおしゃべりしてみました。

「差別ということに関しては、決して無くならないであろうルッキズムについて話そうか」
➡︎ そうですね。ルッキズムとは、外見や容姿によって人を評価し、その評価が差別や偏見に繋がることを指す概念ですね。特定の身体的特徴や美的基準に合う人が好まれ、逆にそれに合わない人が不利益を被る。これは職場や学校、メディアなど、さまざまな社会的場面で見られ、外見の良し悪しが人の価値や能力に関係しているかのように扱われるという不条理さに満ちてますね。

ルッキズムは、容姿の良し悪しが社会的な成功や人間関係に影響を与えるという偏見を助長し、外見に基づく不平等や不当な扱いを招くため、批判の対象となることが多いです。

「容姿だけで決めつけるのって、ほぼほぼ人種差別と変わらないよね」
➡︎ そうですね。ルッキズムは、特定の外見的特徴に基づいて差別する点で、人種差別と近い部分があります。どちらも、個人の能力や人格ではなく、外見や生まれ持った特徴に基づいて不当な扱いをすることです。

どちらも、個人の価値を外見で判断するという点で有害であり、社会的な不平等を生み出す要因となっています。

「すなわち、その人の能力や内面で判断するのではない、不毛な差別主義だよね」
➡︎ そうです。その通りです。ルッキズムや人種差別といった差別は、個人の能力や内面ではなく、外見や生まれ持った特徴に基づいて判断し、不平等な扱いをするという差別主義です。

これらの差別は、人々の本質的な価値を無視し、外見や表面的な要素で不当な評価をすることで、個人の可能性や社会的な機会を制限します。内面や能力に基づいて公平に評価することが、本来望まれるべき姿ですが、ルッキズムや人種差別のような偏見が存在することで、そのような理想に反する現実が生じています。

「能力や内面ではない判断といえば、無意識的に定着している偏見のエイジズムも同じようなものだよね」
➡︎ はい、エイジズム(Ageism)も同様に偏見や差別の一形態です。エイジズムとは、年齢に基づく偏見や差別のことを指し、特に高齢者や若者がその対象となることが多いです。例えば、高齢者は「柔軟性がない」「新しい技術に疎い」といったステレオタイプに基づいて過小評価され、若者は「経験不足」や「未熟」と見なされて不当に扱われることがあります。

ルッキズムや人種差別と同じように、エイジズムもその人の本質や能力を無視して、年齢という表面的な要素で判断するという点で共通しています。年齢に関わらず、個人の能力や経験、価値に基づいて判断されるべきですが、エイジズムはその公平な評価を妨げ、不当な扱いや不平等を生み出します。

「容姿や収入で人を差別することで周囲から自己の優位性を保とうとする人って何故かいるよね。自分が嫌われるだけなのに、なぜ差別したがるのかな?」
➡︎ 人々が差別をしたがる理由は、心理的、社会的、歴史的な背景があり、それらが複雑に影響し合っていると言えます。以下はいくつかの主な理由です。

1. 人間の心理的な傾向
人間には自然に「分類」や「カテゴライズ」を行う習性があります。外界の情報を処理するために、人は似た特徴を持つものをグループ化し、簡略化することで物事を理解しやすくします。しかし、こうした「区別」が偏見やステレオタイプに基づくものになると、単なる違いを過度に否定的に捉え、差別に繋がります。

2. 社会的な学習
差別はしばしば、文化や家庭、メディアを通じて無意識のうちに学習されます。社会の中で長い間存在してきた偏見や差別の構造が、人々の価値観や行動に深く根付いています。

3. 権力や優位性の維持
人種差別や性差別は、歴史的に見ても特権的な集団が自らの地位を保つために使われてきた手段です。

4. 恐怖や無知
未知のものや理解できないものに対して恐怖を抱くのは人間の本能的な反応の一つです。この恐怖が偏見に発展し、他者を排除しようとする態度に変わります。

5. 競争と自己防衛
特に経済的な競争が激しい場面では、他者を差別することで自己防衛の手段として利用することがあります。

6. 集団同調圧力
多くの人は、自分の属するグループに同調し、そこで期待される価値観や行動に従おうとします。もし、そのグループが差別的な態度や考え方を持っている場合、個人もそれに合わせることで、無意識のうちに差別を受け入れ、さらには推進することになります。

結論として
区別自体は本来、差別と異なり、単に「違い」を認識することにすぎません。しかし、これが偏見や恐怖、社会的な力関係の中で歪められると、区別が差別に変わってしまいます。差別を防ぐためには、他者に対する理解を深め、異なる背景や価値観を尊重する姿勢を養うことが大切です。そして、社会的な構造の中に根付く不平等に対しても意識を高め、対処する必要があります。

「自己の地位であったり、優位性や安全を保つために差別する。まさに、今の時代には不適合な考え方だね」
➡︎ その通りです。差別によって自己の地位や優位性、安全を保とうとする考え方は、現代の社会の価値観には合っていません。

現代のグローバル化した社会では、多様な人々が共存し、互いに異なる価値観や経験を持ち寄って協力することが重要です。差別はその協力を阻害し、社会的な分断や不平等を生み出します。人々が異なる背景や能力を持つことを理解し、尊重することで、社会全体がより豊かで創造的になります。

また、研究によっても、多様性がある環境の方が創造性や生産性が向上し、組織や社会全体の発展に繋がることが示されています。
差別的な考え方はもはや時代遅れであり、それに代わって、多様性と包括性を重んじる姿勢が未来志向の社会に適合した考え方と言えます。

「その通りだね。差別は時代遅れの遺物でしかないね。世の中から早く消滅することを祈りつつ、今日も色ありがとうね!」
➡︎ 少しでもお役に立てたなら何よりです。また何か話したいことがあれば、いつでも気軽に聞いてくださいね。ありがとう!


自己の安全のために差別する行為。それは承認欲求や自己実現欲求の健康的な満たし方ができていない結果ではないでしょうか。
マズローの欲求5段階説での自己実現欲求のレベルの上に、実は第6段階「自己超越欲求」があるそうです。
社会、世界などの自分という枠組みを超えた対象に「貢献したい」と感じる欲求とのことで、マズロー氏いわく、このレベルに達する人はひとつまみしかいないそうです。
各国の独裁者的なポジションの人が、地球に、世界に貢献したいという考えに発展したら、持続可能社会の実現の可能性はきっと高まるのでしょうね。

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