なぜ空白期間は発生したか 『ハーモニー』読解(3)/伊藤計劃研究
前回 は「大欠如」の存在箇所、および作中での必然性を述べた。今回はいよいよ、霧慧トアンの立場から見た必然性に迫っていく。
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霧慧トアンの雲隠れにより、作中の空白期間たる「大欠如」は発生していた。ではなぜ、霧慧トアンは雲隠れしたのだろうか。
ただの雲隠れではない。プライベートという言葉からして、既に隠微になった世界の話だ。螺旋監察官という公的な職業ではなおのこと。
そんな状況でなぜ、身を隠すことを選んだのか?
ここで問題になるのが、第一回で取り上げたセラピー期限の話である。
ニジェールからの帰還後、日本でのことだ。霧慧トアンは昼食中の友人・零下堂キアンの自殺を目撃。その時点でセラピーの義務が発生するも、事件の捜査に加わるべく上司と交渉、5日間の猶予期間をとりつける。
規定の効力は非常に強く、セラピーの猶予期間は主席監察官であるシュタウフェンベルクでも「延ばすことはできません」。ひとたび措置を受けることになれば、救急倫理センターにおいて「心理カウンセラーと薬物による120時間のセラピー」が待っている。
では、霧慧トァンのセラピー猶予期限とはいつまでなのか?
無論、事件発生から5日後――すなわち、「大欠如」の真っ只中だ。
霧慧トァンにとって、日本に戻る時間は限られていた。
御冷ミァハ特製の名刺を取りに戻る最短ルートは、バグダッドからそのまま日本へ行くしかない。しかし素直に日本へ戻れば120時間、11日目まで拘束されてしまう。これでは御冷ミァハの『一人一殺』宣言期限、10日目を過ぎてしまう。
霧慧トァンにとって、一時的に雲隠れするしか選択肢はなかったのである。
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それにしても、とお読みの方は思われるかもしれない。この「大欠如」に、今まで誰も気づかなかったのだろうかと。
真相に迫った者はいたかも知れない。けれども踏み込んで検証し、公開する者は現れなかった――『ハーモニー』刊行から14年近く経つまでは。
検証を終えた今、発見が遅れた原因は分かっている。ゆえに、このくだりは後世への記録も含まれている。文学研究の端境期では、資料作成に相当の手間がかかっていたのだと。
『ハーモニー』読解の何が手間だったのか。時系列整理である。作中の時系列は決して一筋縄ではない。回想が入り乱れ、現在形なようでもしばしば前後している。
加えて、記述がいつの事かさえ明確ではない。現在進行系の事態であれば、時刻があればまだ分かりやすい。けれども具体的な時刻は、たった1箇所しか存在していない。
13時16分。すなわち、零下堂キアンの自殺直前時刻。
この数字が、『ハーモニー』における具体的な時刻描写のすべてだ。
他は全て相対的な、48時間前や2時間前といった前後関係による記述である。ゆえに作中の時系列は、この数字を軸に把握せざるを得ない。
そのまま読んだ場合、何日目の話かすら把握は困難である。
だが描写を丁寧に追ったなら、あるべき姿が見えてくる。
以下に示すのが『ハーモニー』の、事件が起きて以来およその時系列だ。
空白たる「大欠如」は作中の5、6、7日目に相当する。
10日間の内、実に3日間が欠落していた訳だ。
その空白が、セラピーの猶予期限切れと同時期であるとは既に述べた。
第一回で私は「セラピー期限の話はいつの間にか消失してしまう」と述べた。しかしここまで読み解いたからには、考えを改めなければならない。
セラピー期限の話は、決して消失などしていなかった。むしろそのタイムリミットを、作中世界の表現として突き詰めていたのだ。それが決して、万人に伝わる形ではないとしても。
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霧慧トアンの置かれた身から、空白の期間たる「大欠如」は発生せざるを得なかった。ではその必然は、果たしてどのような手段で成されたのだろうか。 (続く)
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