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《考え・感性》

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自身の考え・感性のまとめ
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ASD治療薬という言葉に、心がざわつく

ASDの治療薬という概念に、焦燥感を感じます。 定型発達な特性以外を、すべて否定されているような。 自身の行動特性で、存在できない苦しみと生きづらさは、計り知れない。様々な特性を持った人間同士が、平穏に暮らせればいい。 サムネイルは、Karl EggerによるPixabayからの画像

必ずくる死に、備える。衰勢への抵抗。

身内がこの世を去りました。 ほとんど老衰で、やせ細っていました。遺体の顔は、安らかだったが、元気だったときと、とても同じ人間だとは思えなかった。 子供の頃から、漠然と死にたくない、と思っていました。 老いることへの恐怖、生々しい自然の摂理に、耐え難いものを抱きます。 希望は、永遠に生きながらえることですが、現実的な視点がよぎり、自身の人生の終わりも、考えてしまう。 現代(日本)でも、死についてのサービスは、ない。人が幸せに生きるためのサービスはあるが、人が幸福に死ぬた

不必要に、見たくないものを見てしまう心

インターネットのせいで、家にいながらもたくさんの情報を得ることができます。 嫌なニュース、コンテンツなどの情報を見てしまって、スルーしたくても、やりきれない気持ちが湧いて、情報を深堀りしてしまう。 そして、気持ちがネガティブになる。 また、嫌な記憶が定着するので、似たような刺激をきっかけに、行動を反復して、また自ら嫌な情報に向かってしまう。 本当に得るべき情報は何なのか、また自分に今何が出来るのか、考えて見るものを決めないと、時間を浪費するだけとわかっていても、どうして

人生を無駄にしている焦燥感、感じてます。

苦痛から逃避するために、依存的行動をしているとき、とてもつらくなります。 インターネットで、特にどうでもよい動画や、漫画を見て、これ以上時間を浪費したくない。 日々に、逃避行動をせず、常に生産的に生きている人間はいるでしょうか。皆、どういうふうに生きてるのだろう。 サムネイルは、sungmin choによるPixabayからの画像

タナトフォビアと生きる恐怖と離人

離人症の人は、生の生々しさに恐怖する。 内臓うごめき、血肉によって動く生々しい肉体から逃避し、精神とからだを分離する。 だが、無になりたいわけではありません。 過敏で、生きる思いこそ強いから、生の重さに耐えられなかっただけです。 サムネイルは、Rolf DobbersteinによるPixabayからの画像

歳を取るという現実が、信じがたい

もう前に成人して大人になったけど、まだ精神年齢が追いついていないです。それなのに、時はどんどん無情に過ぎていく。 誰もが歳を取っていくけど、段々と時間に手をかけられるという恐怖に、私は戦慄し、呆然とする。 今を大切にと思うけれど、離人症の影響で現実感もなし、精神疾患の影響で、ずっと何もできずに空白の日々を過ごしている。 いつか、抜け出せる日がきたら、すべてを受け止められるのでしょうか。 ※サムネイルはRoger JeffreysによるPixabayからの画像

理不尽に悶えたりしないのですか

生きている限り、どうしようもない理不尽に出会う。 死、老い、病気、別離、争い…。 自然の摂理ならまだ覚れても、人から受けた理不尽は、堪らない。 非行に、自身の大事なものを、軽率に踏みにじられる苦しみ、どうしようもない不全感。 そのような体験は、マイノリティな苦しみでしょうか? こんな、幸福だけではない世界で、理不尽に悶えたりしないのですか。 サムネイルは、Robert WaghornによるPixabayからの画像

時代の好まないところ

Tters(ッターズ)という匿名SNSで、こんなパブリックを見た。 情報化社会(SNS)の弊害。 情報過多、情緒の希薄化、コンテンツの安直化、縛られすぎた世界。 共感できるコメントがある。 今の人間は繋がりすぎたのでしょうか。 サムネイルは、Joseph MuciraによるPixabayからの画像