読書感想文 「サラバ!」西加奈子

はじめに

 久しぶりに読んだ小説で感想がとても長くなりそうだったのでせっかくならnoteで書いてみたいと思い、本を片手にキーボードを打つことにした。なおこれは私にこの本を薦めてくれた人に向けて書いているので、この記事に出会った人はネタバレ上等の気概で読んでいただきたい。
 ※ハードカバー版を借りたので文庫版とはページ数にズレが生じていると思う、それは申し訳ない。

読んだ本について

 今回読んだのは西加奈子先生の「サラバ!」
奥付を見るとそこには2014年初版と書いてあった。中学校で読まなかったことが悔やまれる。それはさておき…
 西先生の作品自体はじめて読むのでどんな話を書く人なのかとワクワクしながら本を開くと飛び込んできたのはこの一文「僕はこの世界に左足から登場した」だった。後々自分の出生をこのように客観的に振り返れる人間がいるのだろうかと不思議に思ったものだがこの違和感は物語を読み進めていくたびに増していくことになる。上巻の途中で薦めてくれた人にこの違和感について「完全に作者目線でもなく、主人公目線でもない文章が面白い」と言ったら、その言葉を読み終えるまで忘れないでと言われた。後日なんで自分でもそう思ったのかわからないまま読み進めることになるのだが、それは下巻のラスト3ページが解決してくれた。
 これから書いていくのは上巻下巻それぞれの好きなシーンや台詞を思いつく限り書き並べたものだ。かなり乱雑なのでめんどくさかったら、目次から「最後に」まで飛んで欲しい。全体的な感想をまとめておく。

上巻の好きなシーン・台詞

 書くならまとめてくれと思うかもしれないが、人一人の人生を描いたちょっとした長編だし何より読書感想文を書くのが久しぶりだ。noteには文字数制限などないのだから大目にみてほしい。

主人公の生き方

” 僕が怒る前に姉が激怒する、僕が泣く前に姉が号泣する。だから僕は、なんとなく躊躇してしまって、沈黙するだけだった。誰かが僕の「感情」を持っている状態になると、落ち着かなかった。 " 

p43

 この本で一番最初に刺さったのがこの場面。
 猟奇的な姉と子供っぽい大人である母に囲まれて育つことになる主人公のこの台詞が何より刺さった。自分が姉のように行動すれば母を困らせる、しかも自分の感情以上に強い感情と行動力を持った姉がいたのだからそれは奥に引っ込んでしまう。なんとなく自分が言いたいこと、相手にぶつけたかった思いをとられたような。でもその感情は間違いなく自分の中にあるから主人公は落ち着いていられなかったんだと勝手に思って読んだ。ここから語られる主人公の生き方は、この時点で決まっていたように思う。

もう生まれ落ちてしまったのだ。
僕にはこの可能性しかなかった。” 

p59

 幼稚園という新しい世界にでて、自分以外の家庭を見た主人公の言葉。
他の子供や家族をみて、はじめて自分の家族に違和感を覚えた主人公に正直共感しかなかった。なんというか、すごい腑に落ちる言葉だった。(私もきょうだいが多くいてそれだけで周りと違っていたし何より生まれて20数年ずっと私を「宇宙人」呼ばわりしていじってくる家族に囲まれて育ったのだ。私も家族も普通な訳が無い。というわけでこの主人公の一種諦めみたいな感想には大いに共感した。)
自由なようで子供時代の方が、家族に頼るしか生きていけないことをこうぶっ込んでくるかと思った。

ヤコブとの別れと化け物

そう、やはり、分かっていた。僕らはそれが現れることを、分かっていた。

p258

 ヤコブと主人公の別れのシーン(子供時代と再会両方)
 下巻まで読むとここで出てくる白い生き物の正体がわかるような気がした。多分「それ=時間」なのではないだろうか。面白いのは大人になったら化け物と言っていたものが子供の時は生き物といって姿を捉えられてるところだ。子供の時は主人公はヤコブと別れる時が来るのを明確に分かってるから化け物の姿がちゃんと見えたのではないか。逆に大人になってそれが現れなかったのはヤコブといつ別れるかなんてわからなかったから。
 子供の頃は絶対の別れ=絶望とか悲しみだったのが、大人になったらいつか分からない別れ=希望に変わったのではないだろうか。ほかにもあるがこう、ラストに持っていく展開が熱い。

不思議な文章と第1章について

 第1章を読んでいて「これ、自分は誰の立場で読んだらいいんだろう」と少し困った。基本的には主人公、お前の気持ちわかるぞと主人公に視点をおいて読んだが姉の気持ちもわからなくはなかったので誰を中心に見ようかと悩んだ。(最後まで読んだ時に姉の好感度がめちゃくちゃ上がることになるとはこの時はまだ思っていなかった。)自分を見てもらう方法がわからなくて、もがいた結果周りから人が離れていくのは悲しすぎる。しかし壁に巻貝を彫ったり、物を埋めたりするのは側から見たら分からないしとにかく最後まで苦しんで生きた人なんだなと思った。

好きな登場人物など

夏枝おばさーん!!

 ご存知かもしれないがこんな台詞はない。安心してほしい。
ただ登場人物の中で好きな人BEST3が夏枝おばさん、 須玖、ヤコブだったのだ。
夏枝おばさんや須玖の音楽や映画を自分のために好きでいるそんな似た者同士の生き方がとても好きだ。
 ヤコブと主人公のシーンは幼少期と大人になってからの2回同じ場所であるわけだがもうそこが好きだ。理由はわからないけど言葉もなく、に繋がれていると、友達を愛していると断言できていることが子供の時の全能感みたいななにかが溢れていてとても好きだ。なにより「サラバ!」の大事な登場シーンである。(細かいことを言うともうすこし前だったかもしれないが)うまく言葉にできなくて申し訳ない。ただ読んでいるこちらも何か尊いものを見た気がして好きだった。
 そして大人になってからの再会は主人公に時間が流れたこと、子供の時にあった何かが無くなったと勝手に絶望しているところからの「サラバ」はもうズルいと言いたくなるレベルだ。

下巻の好きなシーン・台詞

母のこめかみが、ぴくぴくしていた。怒るサインだ、そう思って、僕の体はこわばった。
「あの人のことは、あんたには分からへんの。」
母は、まるで自分に言い聞かせるように、一文節ずつ区切った。
「絶対に、分からへんの。」

p106

 父が過去の話をするまで、離婚の原因は浮気ではないかと考えていたのでこのシーンは親から子供に大人の事情はあなたにはわからないでしょ?というニュアンスなのかと思っていた。最後まで読んで思ったことだが、仮に浮気やどちらかの不誠実が原因なら主人公も子供ではないのだから言ってもよかったはずだ。頑なに語らないのは、離婚の理由はもう母にとって心に閉じ込めておくべき話になっていたからなのかもしれない。だれであろうと語りたくない。Kさんや過去の話はそういったものになっていたからこのシーンではここまで強く「分からない」と言っているのだろうか。離婚の原因を知らない主人公や読者にはなぜここまで母が幸せにこだわるのか分からない。その怖さが読んだ後にやってきてすごいと思った。

サトラコヲモンサマの正体

 一番宗教から遠いところにいそうな、矢田のおばちゃんのサトラコヲモンサマ
その正体は「チャトラの肛門」という話。おばちゃんの何かを信じることへの考え方がなんだか好きだった。

自分の信じるものは自分でみつけなくてはいけない
物語のテーマ?主軸みたいなものがここにきてやっと見えた気がした。
離婚後の母は新しい恋を見つけることが幸せだと信じ、姉は神様や偉人を信じようとした。主人公がこれまで嫌ったり、逆に好ましいと思ってきた人たちは音楽や映画、神様や宗教とにかく何かを信じて生きている人たちだった。そう言う人たちは良くも悪くも強烈で強かった。信じるものがないから主人公は他人と比べることしかできないし、それで傷ついたり揺れている

矢田おばちゃんの恋の話と「すくいぬし」 

 書いてあるページは少ないが作中では指折りのドラマティックな話だと思う。
死んだ後も色んな人に影響を与えている矢田のおばちゃんがすごいと思ったし、戦後という今の私たちには想像しかできない過酷な時代の中でおばちゃんと「刺青の人」の出会いが印象に残った。どう言葉にしていいのかわからないが、綺麗な話だと思った。あの教祖になっても変わらなかった矢田のおあばちゃんはきっとこうして出来てきたのだとなんとなく思った。

すくいぬし
刺青の人がこの言葉を選んだのはなぜだろう?
矢田のおばちゃんの端折る話し方と、夏枝おばさんのそのままな語り方がこの見えない物語にはとても似合っていた。おばちゃんにとっての「信じるもの」はこの言葉そのものなのか、それともこの言葉をくれたひとへの気持ちだったのだろうか。
見えないドラマを勝手に想像するのは面白い。

 こんな風に読者に空想の隙間をくれる作者は良い。話を考えているとわかって欲しくてつい、全て説明したくなる。設定が細かいSFやファンタジー、登場人物の心情が熱く語られている物語も作者の熱が感じられて好きだが、こういうところで登場人物の気持ちや場面を自分の手から手放してくれる。そんな書き方をしていて良い。感想を書きながらこの本の不思議な文章の好きなところが見えてきた。

ティラミス

ティラミス!!

姉と主人公の会話から

私が、私を連れてきたのよ。今まで私が信じてきたのものは、私がいたから信じたの。
分かる?歩。
私の中に、それはあるの。「神様」という言葉は乱暴だし、言い当てていない。
でも私の中に、それはいるのよ。私が私である限り。

p250

 ここで選ぶべきは「あなたが信じるものを誰かに決めさせてはいけないわ。」の一言かもしれない。しかしどうにも「私が、私を連れてきた。」この言葉が好きだ。そして「私のなかに、それはいるのよ。」ここを読み返して思い出した歌詞がある。せっかくなので引用させてもらう。

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに見つけられたから

なんの歌かはあえて言わないが、多分わかると思う。
まったく違う作品の歌だが、たくさんのものを信じようとして、迷った姉にぴったりの歌詞ではないだろうか。

主人公にはこっちだ。イメージソングみたいな感じ。

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡のうえにも
新しい景色が 映される

これまで生きてきた自分が、時間が生きてきたことを証明してくれる。
ヤコブと過ごした時間に、思い出を辿る中で答えを見つけた主人公に合うと思った。

ご神木

つまり、姉は「ご神木」だった。
世界で一番美しい、動ける「ご神木」だった。

p353

ここも下巻で指折りに好きなところだ。
「ご神木」は姉の人生にいつも暗い影を落としてきた。
そんな言葉が最後の最後に主人公から姉へのこの上ない褒め言葉、尊敬と愛情がこもった言葉に変わった!この流れがとても好きだ!

作中で何度も繰り返されてきた言葉「ご神木」「巻貝」「サラバ!」まだまだあったと思うが思い出せないw
こうして出てきた言葉の意味が変化したり、逆に変わらなかったり、何度も拾ってくれるところもこの本の好きなところだろう。

これで、細かい感想は大体話した。あとは文章にするより話したい、というのが正直なところだ。

というわけでまとめはさっぱりといこう。

最後に

 全部読み終わって思ったのは、「こう持ってくるか!!」素直にこの一言である。
 例えばあれだけ姉を傷つけた「ご神木」という言葉は主人公の中で良い意味に変わったし、主人公は最終的に禿げた。母があれだけ幸せになろうとした理由、父の態度の理由「映画にするなら絶対これどっか削らないと終わらないぞ」と思いながら読み進めた。それぞれが信じられるものをみつけて生きていくこれはそういう物語だったんだと遅いかもしれないがほんとに下巻の終盤で気づいた。

完全に作者目線でもなく、主人公目線でもない文章”全体を通してほんとにこれだった。しかし、とても感覚的だがラストから2pの文章は作者?主人公?うーんここは僕でいこう。「僕」がはじめて読者の方を向いて話しているような感覚がした。信じるものを見つける前と後とでなんとなく変わったなという感覚があった。本当に最後まで不思議な文章だった。

 読み終わったら作者の経歴を見てみると良い、と言われたので調べてみた。
 経歴を見てこれは作者が自分のことをそれこそ神視点で語った物語なのかもしれない。確かにそう思った。しかし読み始めた時から違和感を与え続けられた本のオチとしては綺麗すぎる、納得がいきすぎる。と感じる!信じるものを自分が決めて良いなら私は作者はこれを自分の人生について語ったものじゃないと思いたい!!元ネタ=自分の人生くらいのノリで書いたのだと。ただ確証が持てないので他の作品も読んで作者の作風を見てからそこはゆっくり考えたい。というか答えが出ていない状態を楽しみたい。

今度会って話せたなら、ぜひ感想を言い合いたいと思っている。
なんとなくこんな文体で書いてしまったので偉そうに見えたら申し訳ない。

最後に、この本を教えてくれてありがとう。
とても面白かった。

長くなったのでおすすめの本については別のnoteにまとめておこうと思う。
楽しんでもらえたら幸いだ。

それでは、「サラバ!」

Fin

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