指数関数的な

Twitterでは「鬼滅の刃最終回」や「強行採決に反対します」などの話題が盛り上がっているいる?全国、全人口で考えたらほんの一部の盛り上がりなのか、全世界で見たら、、、。『鬼滅の刃』はアニメとYouTubeで考察動画しか見ていないので、早く原作が読んでみたい。(ネットカフェで一気読みしたいが、今はやめとこう)炭次郎力(共感的態度(よく頑張ったな、すごいぞねずこ、鬼は悲しい生き物だ等)これが大事であり、多くの人が「欲しいけど、幼少期含め足りなかった」だから、炭次郎のキャラクターが現れてくる気がする。(意識的にしろ無意識的にしろ、時代が要請する)そして人類学的に花言葉やら鬼と人間の二項対立とトリックスター的要素、竈に炭(シンデレラは灰かぶりのこと)などじっくり原作を読んでレヴィ ストロースや中沢新一氏を読み返して考えてみたくなる。

「強行採決に反対」は以前にも特定秘密保護法に限らず、消費税にしろ反対すべき事柄はおそらく沢山あったに違いない。かつてはいずれも民意は反映されていなかったように感じる(消費税とか嫌だし)ここに来て検察がらみの法案に対するレジストが一つの「無視できない要素」に迫り上がってきている兆しがあるようだ。(また無視される可能性も大なんだろうけれど) Twitterの利用が広がっているのだろうか?かなり人が日常的にTwitterで情報収集や発信をしている中での今回の件でSNSの力のようなものが発現し出したのかもしれない。これで情報統制を政府がやり出したらどこかの国と同じ監視国家になるが(もう監視はされているのか)表現の自由、集会結社の自由は建前だろうか。

思うのだけれど、誠実に真摯に真っ当にやった方がはるかに「ラク」なのではないだろうか?「そんなに甘くない」と分かった風な構え自体が自分で事態を面倒にしていないだろうか?小我に囚われるとその小我すら危うくなるのが世の常な直感がするのだが。人類学やった方がいいよと伝えたくなる。自分だけ利益を得ようとすると破滅するのはホモサピエンスの動かざるルールみたいだから。あるいは「与えよ、されば与えられん」だ。

「データ×AIの世界ではすべての変化が指数関数的に起きる。5年、10年で数倍という変化ではなく、一桁、二桁変わるということだ。」

『シン ニホン』安宅和人 p26

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