自然映画「ザリガニの鳴くところ」 考察 犯人の動機
嫉妬の悪魔
昔、彼女がショッピングモールにある石鹸専門店の実演販売に興味を示した。
イケメン店員が石鹸を売っていて、作った泡で貴族が令嬢の手を取る様に彼女の手を洗い始めた。
僕は「それするんやったらベンチで待ってる」と言い捨てその場を離れた。
勿論、拗ねている。
数分後、笑顔の彼女が紙袋を持ち 帰ってきた。
無論、嫉妬で焼け焦げている。
怒りの理由がわからない彼女は僕の態度にイラつきケンカになった。
業を煮やした僕は「僕の彼女ちゃうんか!」と怒鳴り、一人で帰った。
自分の器の小ささと支配欲の強さに引いた。いまだに夢に見る。
ここまでひどくはなくても皆も似た経験があると思う。
だって人間は他人や自然を支配したがる生き物だし。
犯人はカイア
貝殻のペンダント発見場所、「暴力に怯えて生きていたくない」って発言からも殺したのカイアだ。
「誰が殺したか?」よりカイアが無罪でチェイスが死んだ理由の方が重要。
簡単に言えばチェイスは支配しようとした罪で死んだ。
カイアはチェイスを「父の様な男達」と呼ぶ。
暴力で家族を支配しようとする男達。だから殺した?
なら暴力で暴力を支配したんだからカイアにも罪はある。
でも無罪。母の様に逃げる事だってできたはずだ。
何故、男からも湿地からも逃げないのか?
街の人間はカイアを「湿地の女」と呼ぶ。彼女は湿地と同一視されてる。
原作小説の作者は女性で動物学者、自然保護活動家でもある。
だからカイアに自然の象徴として役割を担わせる。
両方とも人間の暴力にさらされやすい存在だ。
森派?海派?いいえ、湿地派
「自然」と聞いてみんなが思い浮かべるのは森か海。
でも湿地もすごい。
キレイな水、肥沃な土、木材、魚介類まである。
森や海以上に人間に恩恵をもたらす湿地。
カイアもムール貝を売って生活してた。
でもそんな湿地の化身のカイアを人々は粗末に扱う。
町の人々を雑にレッテル貼りするなら
父、チェイス=自然と女を支配しようとする者。
テイト=自然と女を恐れ敬う者。
売店夫婦=50年代南部の黒人、カイアと同じ暴力にさらされやすい。※1
その他大勢=恩恵だけを欲しがる者。
再会したテイトは自然調査を仕事にしていた。
約束を破った事に対して
「君を捨てた事は最大の過ちだった」
「君は湿地から出られない。外では生きれない」※2
と言い訳する。
恋人として裏切ったと言うならそもそも抱いてない。
出ていくことも最初から言ってる。
大事なのは会いにも来ず、手紙も送らず彼女の気持ちを踏みにじった事と
自然を捨てた事だ。
体とは外の世界より彼女と自然から与えられるものを選んだ。
彼女はテイトやチェイスに気持ち以外のものを求めない。
与える側だ。チェイスが彼女にこだわる理由もこれ。
持つ者と持たざる者
チェイスはいわゆる強者だ。裕福な家庭と恵まれた才能で町の頂点に立っている。
「他の奴らとは違う」とは町のその他大勢のやつら事で彼らはチェイスに取り入る事で恩恵を得ようとしてる。
町の中でチェイスは与えるだけの存在。そこにむなしさを感じる。
だから与えてくれるカイアに執着し支配しようとする。
だけど自然を支配する事はできない。原作ではメスはオスの扱い方を知っているという言葉も出る。映画内でも蛍とカマキリの話でそれを匂わせる。
男は女を支配できない。それをしようとした罪で殺される。
カイアが「無罪か死刑か」だとか「裁かれるのは私じゃない。街の人だ」
と言うのはカイアを裁くなら支配を肯定することになるからだ。
ザリガニは鳴かない
そう思われてる。現実はそうだ。
これは原作者が母親に言われた言葉、小説内ではテイトが言う。
そこは野生動物が、自然がそのままでいれる場所だと言う。
鳴けない者が鳴ける場所、そこは誰にも支配されずにありのままで入れる場所だ。
備忘録
※1
南部は差別意識が強い。正確に言えば黒人の奴隷化に最後まで抵抗した。つまり支配したがる。夫の「首を突っ込むな」は村八分の少女を助ければ、自分たちまで標的されるから。
※2
彼女が湿地から離れられないのは自然がその場から離れられないのと同じ。