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親切映画「クワイエットプレイス DAY1」ネタバレ 考察

オタクに優しくしてはいけない。

ネットでみた言葉。
女がオタクに優しくするとオタクは付き合えると勘違し、断ると逆恨みして被害を受ける。
オタクの僕も特に否定はしない。
似たような言葉で「バカに優しくしてはいけない」もあった。
調子に乗ってくるから。これも否定はしない。
要は恩を仇で返されるからって事ね。
サウスパークってアニメでも都会のホームレスに小銭をやると群がってくるゾンビ映画パロディ回があった。
確かに親切な人はリスクがある、特に人の多い都会なら。生きる為に優しくしない。仕方のない事だ。
だけど親切とか優しさって計算でするものでもない気がする。

檻の中で生きてる実感は湧かない。

主人公のサミラはホスピスで暮らしてる。
鎮痛剤で痛みをごまかし死を待つ人生を「クソ」と詩にする。
「友達だろ?」と言うルーベンに「あなたは介護士よ」言い返すのは自分が他人の世話になって生きてる事への辛さからだ。
夢も希望もなく、誰かに希望を抱かせることもない。
都市でピザを食べるというささやかな望みが彼女の人生を一変させた。

勝手に斧振らないで。

芸人の狩野英孝がゲーム配信でキャラクターに意図しない動きをさせてしまった時のセリフ。
ホントに意図してないのかはさておき、僕らも思いがけず何かをする事がある。親切なんかがそう。
マンガで見た事ない?「なんか助けちまった」って展開。
サミラも噴水の中にいた子供を助ける、余裕も必要もないのに。
途中で出会うエリックもそう。お互いに助け合う、目的も違うのに。※1
パニックホラーでありがちな暴走行為がこの映画ではほとんどない。
橋を爆破された時の絶望おじさんくらい。
正直、異様に感じる。
「世界の終わりの始まり」って映画なのに悲壮感がない。優しい世界にすら感じる。皆が親切すぎるから。

仕方がないけどあと少し。

今回で3作目のクワイエットプレイス。過去2作から監督が代わったから怪物の正体も変わるんじゃないかと思った。
今回の怪物の正体は「仕方ない」だ。※2
世界がゾンビだらけになる妄想では自分は英雄だけど、現実なら暴徒。
だって仕方なくない?文明が崩壊したんだもん。
「生き残るために騙し奪い殺すしかない。しょうがないよ」
って言い訳をさせる為の化物。
でも何をしてもいいって言い訳がある中で人に親切にしちゃう世界。
言い訳と化物に対抗するのが猫のフロドとピザだ。
サミラは残り人生をピザに費やす。
エリックは生きる希望をフロドに見出す。
生き残りたいならピザなんてほっておくし、留学中に化物に襲われ絶望してるのに猫で癒されてる場合じゃない。
監督はインタビューで
「世界の終わりに猫ばっか気にしてるの何?」って質問に
「猫を心配したり、ピザが気になったり、他人を気に掛けたりする事は終末を感じている私たちに人間らしさを思い出させるモノなんだ」と答えた。
終末世界で希望を失わない事はそれほど難しくないみたい。

サイゼリヤで喜ぶ彼女

ネットでバズって炎上したイラストの事。
貧乏な男にウケ、港区女子にスベッた印象。
僕もケチくさいので見てたらウケたと思う。
男女関係なく、些細な事で大喜びしてくれたらウレシイ。
豪快な事をやるのは手間もかかるしシンドイ。
親切もそう。人を助けるために自分を犠牲にしないといけないならできる人は少なくなる。でも猫が人を勇気づけ、ピザが希望を与えて、手品で笑顔になれるならそこまでハードルは高くない。
監督はコロナのパンデミックで皆それを経験したはずだと言う。
それとは他人の小さな親切が大きなお世話じゃなく希望になる事だ。
サミラはラストでニーナ・シモンの「Feeling Good」を聴く。
この歌は解放の歌と言われてる。黒人が自由を勝ち取った時に唄う歌。
歌詞も鳥や風に共感し夜が明けて自分の人生を生きる朝が気持ちいいという内容になってる。
サミラは自分の親切が子供を助け、自分の希望が誰かの親切に助けられた事でようやく生きている実感を得た。
サミラは生き残る為の生き方をやめてイヤホンジャックを外した。

備忘録

サミラの愛称はサムらしい。サムとフロドって名前は指輪物語から来てる。
一つの指輪を破壊する冒険と一切れのピザを求める冒険。

前作の脱出した船と言うのがエリックの乗った船。

※1
港とは逆の方向、死の方角に進むサミラ。エリックは死にたくないのに死の方角へついてくる。
エリックのついてくる動機が今一つ分からない。

※2
過去作の正体は「正義マン」


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