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判断映画「ダウト」ネタバレ 考察 電球 解説

禁断の果実を食べると死ぬ。

旧約聖書の『創世記』で、神は「知識の木の実を食べてはならない」と命じ、「食べると死ぬ」と警告した。
ヘビが「死ぬとか嘘。食べると神の様に善悪の区別がつくようになる」と
アダムとエバを唆し、木の実を食べさせた。その後、楽園を追放される。

神を言葉を疑い、神の様に善悪を判断しようしたせいで人は死ぬようになった。
これを人が生まれながらに持っている罪「原罪」とする解釈もある。
つまり、人は疑わずにはいられないって話。

対戦ゲームで本性表す。

対戦ゲームをやってると自分を棚に上げてチームメイトにイラつく事がある。怒鳴ってる奴もいる。
「自分はベストを尽くしてるのに!」と傲慢になり、他人の粗探しをする。簡単に言えば、神を気取り始める。

校長も神を気取る。
校長室で若いシスターのジェイムズと口論になるシーン。
神父を疑う理由を聞かれると「経験だ」と答える。
「恐ろしい見方をしてる」と怯える彼女を座らせると唐突に電球が切れる。
校長は
「あなたが大声を出すから切れた。スパルタでは声の大きい者が決定権を持つが、幸いここはスパルタじゃない」と続ける。
つまり決定権は自分が持っていて、判断理由は経験という事だ。
「子供たちが校長を怖がっている」と非難されると
「それでいい」と返す。
恐れられ、善悪の判断をする存在。それって神じゃん。

電球は神父との会話の時にも切れる。この時も神父のせいにする。
直前の会話はさっきと同じで「なぜ私を疑うのか?」との問いに
「私には人がわかる」と豪語する。
雷がなり、電球が切れる。
さすがにこれ「神の啓示」と言っていいのでは?※1

君はどう生きるか?

これだと校長だけが神に背いた悪人と感じる。
でも最初に言ったように、疑う事は人が最初から持ってる罪だからそれが人間の証明って言える。

監督はインタビュー
「この世界で人間が確信を持てない事が多く存在する。
良き親でいられているか?親孝行出来てるか?……(中略)
これらに満足は答えは得られない。真実を求めて、もがき苦しむ体験を観客に促す。……(以下略)」
と答えてる。校長の立場で語ってるように見える。
実際、神父が具体的にどういう罪を犯したのかは分からないまま。
神父の前科も分からない。※2

監督は映画のストーリーについて
「最初は推理モノの様になっていて途中から『白か黒か、善か悪か』ではなくどう生きるかと言う事に関心を向けた」と語る。

三者三様

この映画の重要な役は、シスタージェイムズ、フリン神父、アロイアス校長の三人、役割もハッキリしてる。※3
ジェイムズ:無垢な存在。罪を犯してないので疑わない。
フリン神父:中間的な存在。罪を犯しながらも神の教えに従おうとする。
アロイアス:罪深い存在。神を信じたいのに疑ってしまう。

ジェイムズの様に純粋に生き続けるのは難しい。もどかしさから声を荒げるシーンもあった。
フリンのように罪と愛が混在した生き方の場合、その分岐点は誰が決めるのか?
アロイアスの様に人の身で断罪をするのも辛い。どこまで行っても真相は分からないからだ。
アロイアスは最後でジェイムズに泣きつき語る。
「疑いがどうしても消えないのです」と。

もしかしたらこの真実が分からず、疑い続けながら生きなければならない事こそが神が人に与えた罰なのかもしない。※

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