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noteを続けてみたら役に立たない知恵を書きたくなった
興味本位で始めたnoteも、これで8か月。
海外生活から得た情報を海外に関心がある方へ、と思い始めました。
始めてみて気づいたのは、気軽に続けられる良さ。日々アップデートされる情報の膨大さ。自分の記事と類似したものの多さ。
今届けたい、今欲しい情報がリアルタイムで行き交うのは素晴らしいこと。一方、更新速度の高さは真に必要な情報を埋もれさせるリスクをもはらむ。このようなジレンマを強く感じます。
「情報」や「知識」は自分でなくても発信できるのでは?では自分にしか残せないものは?それは「知恵」だと思います。
情報、知識、知恵
noteという文脈の中で、これらを以下のように考えます。
情報
事柄を示す材料、素材。空間にとっ散らかっているイメージ。
知識
情報を取捨選択し、かみ砕き、自分で使えるように加工したもの。引き出しに収納されているイメージ。
知恵
状況に応じて、知識に自分だけの着色 (=意味づけ) を施したもの。自分の知識を他者が使えるよう再加工したもの。
数多の選択肢 (=情報) を加味・選択していつでも引き出せるようにしておき (=知識)、それらを組み合わせ、小話やラッピングと共に提示する (=知恵)。こんなイメージを持っています。
では、自分は何を提示できるのか?
・観光について
・留学について
・研究者のキャリアについて
これらは、"有益な情報"としてスピーディーかつ的確に読者に届きやすいと思います。しかし、1日あたりの記事投稿数が4万を超えるこの場において、「本当に役に立ちそうだ」と思った情報が刹那的に消費されるのはもったいないと感じます。
4万分の1として何ができるか?それは、日常の気づきや考えを読み物に昇華して、日々の生活に楽しさを見出すプロセスを共有することです。これであれば、情報でも知識でもなく、自分色のものを残せるでしょう。
研究を本業にする自分は、明確な"記述"のために「ロジック」を重要視してしまいます。一方、noteでは知識や情報を知恵に変換し"表現"することを目指します。そのためには「ユーモア」が必要です。
ユーモアの本質は、自分を主題の外に置き、没頭しすぎないよう距離感を保つ姿勢です。記事ネタへの過剰なのめり込みは危険です。なぜなら、記事が自分事で収まってしまい、読み手におもしろさが伝わらないリスクがあるからです。
有益性はいったん忘れ、自分色で情報を加工して知恵として残したい。これがnoteを8か月続けた今の気持ちです。
有益性が担保できないものは知恵なのか?
はい。知恵は絞るものですから。元々無いことを前提にしたものなので。一見役には立たなくても知恵になります。
鑿戸牖以為室。当其無、有室之用。故有之以為利、無之以為用。
戸や窓を貫いて部屋を作る。そこに何もないから、部屋としての役割を果たす。故に、形ある物に価値があるのは、形ない物がその役割を果たしているからだ。
ユーモアだなんだと言っておきながら、だいぶ硬い文章になりました。僕の記事の多くは今すぐ使える情報にはならないでしょう。記事を見てくださる皆さまによる再々加工を前提に書こうと思います。
よろしくお願いします。
最後に、今後の大まかな方針をまとめます。
日常の気づきや考えを読み物に昇華して、Mattiが何にどのように楽しさを見いだすのか共有します。記事タイプは大きく分けて2つ。
①ランダム記事
頭の中にとっ散らかった気づきや考えを組み合わせ加工し、すぐには役立たない知恵を綴ります。
②月末記事
毎月のふりかえり。よりリアルタイムに、鮮度が高い気づきや考えをプロセシングして残します。
ではでは。