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小6の夏、川に恋をした。そして、自分の物語を描いた。

小学校高学年のときに、よく小説を読んでいた。

愛読書は重松清、阿部夏丸、椎名誠、石田衣良。
青春モノからミステリーから随筆集まで、年間で100~200冊は読んでいたと思う。

当時の僕は中学受験を控えており、いわゆる“缶詰”のようなを暮らしを強いられていたので、両親の前では本を読むか勉強をするかの二択しかなかったため、常に周りには本がある状態。

友達と遊ぶのも禁止で、小6に進級したタイミングで親に全ての電子機器(64、ゲームキューブ、ゲームボーイアドバンス等)を取り上げられ、野球や書道などの習い事も全て辞めさせられた。必然的に本を読むことだけが唯一の安息の時間となった。(漫画も娯楽とみなされNG)

あまりのストレスに学校帰りに親がいないタイミングを見計らってPCのパスワードをハッキングして麻雀やバックギャモンを楽しんでいたのだが、すぐに履歴でバレてブチギレられる始末。

勉強は嫌いではなかったが、当たり前のようにドッジボールをして遊んだり、ポケモンのルビサファで遊んだりする同級生たちを見ていると、自分の閉塞的な生活にはほとほとげんなりしてしまった。

打開策も見えないまま塾と家と学校を行ったり来たりする日々を過ごしていたのだが、幸いなことに心底本を読むことだけは本当に大好きで、電車の中や勉強のスキマ時間には没頭した。

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そんなガリ勉読書オタクだった当時の僕が一番好きだった小説が、阿部夏丸さん著書の『峰雲へ』。

愛知県の矢作川を舞台に、魚採りに全力を尽くした3人の少年たちの日常生活が描かれており、友情、恋、人間付き合いの挫折、様々なことを経験しながら彼らが少しずつ成長していく青春物語。

週3日で塾へ通い、他の日も自宅で勉強、土日も含めて毎日深夜の1時まで机に向かうことが日課だった僕からしたら、阿部夏丸が描く世界はあまりにもキラキラして見えた。

それは、憧憬に近い感情だったかと思う。


「自分の物語が、彼らのようだったら、どんな人生だっただろう」

多摩丘陵の緑に囲まれながら、こんな妄想が僕の脳内に溢れた。


気がついたら、唯一塾がなかった火曜日と木曜日の親の居ぬ間に、家で原稿用紙を取り出して筆をとっていた。

自分が川や公園で友人たちと遊び、同級生の女の子に恋をし、移動教室でキャンプファイヤーをし、兄弟ゲンカをする物語――。

とにかく夢中になって、創作していた。


今思い返せば架空の自分を創り出す小学生などあまりにも空虚で辺鄙なのだが、本当に当時は文字を書くことが楽しくて仕方がなかったのだ。

とりわけ、誰に読んでもらうわけでもない。自分の右手が、別次元の物語を創り出している事実に対して、ただただ快感を覚えていた。

これが、僕の物書きとしての原体験。

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――夏が過ぎ、秋を越し、受験シーズンの冬を終えて、卒業の春を迎えたときに、僕は東京都日野市にある黒川清流公園に一人で向かっていた。

「悪くない人生になるだろう」

楽しそうに川で泳いでいる鯉たちを見て、そう予感したのを今でも覚えている。

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