ニュアンス飯のススメ

ニュアンス飯。

そんな言葉を聞いたことがあるだろうか。

いや、ない。(反語)
あるわけがなかろう。
なぜなら、ニュアンス飯とはマツザワが自分のつくる料理に苦しまぎれに名づけた造語だからである。
(※一応ニュアンス飯でググってみましたが、他の人が使っているような雰囲気はなさそうでした雰囲気とは?)

ことの発端は先日の夕飯に遡る。

在宅勤務終了後、急いで飯を作らねばと慌ただしくガバッとあけた冷蔵庫内の惨憺たる食糧難の光景にしばし言葉を失う。
厳しい現実を前に、なすすべもない己の無力さ。ゼロから創造はできないのである。
しかし、飽食の時代。なければ買えばよい。
気を取り直して時刻を見ると21時をまわっていた。最寄りのスーパーは21時まで。
冷蔵庫を開け放ってから、この間わずか数十秒。2度目の絶望に戦意を完全に喪失する。

「こうなったらもう、チャーハンしかねぇ。」

チャーハンといえば、家庭料理の手軽さカテゴリーの中で常に上位にランクインし、家にあるものでつくれる非常に自由度の高い料理のひとつである。
なんといっても米さえあれば短時間でできる。

幸い、前日に炊いた約24時間絶賛保温中の黄色い米が炊飯器に残っていた。
卵はある、いつかのなんかのチャーシューの切れ端が冷凍庫にある、2個だけじゃ使いづらくて行き場を失ったしなびた椎茸が野菜室にある。上等だ。

黄泉の国へ逝きかけていた戦士達を無理やり叩きおこし、家庭用ガスコンロのもてる最大火力を出力。仕事終わりの最後の力を振り絞りおらおらおらとフライパンを煽りまくる。

米もパラパラになってきた。
てりもでてきた。
香りもいいぞ。

先程まで絶望の淵に立たされ、背水の陣でチャーハンに勝負をかけざるをえなかった落武者に、形勢逆転とでもいわんばかりの活力がみなぎっていた。

最後に塩と醤油、ウェイパーでちゃちゃっと味をつけ、こしょうふぁっさーかけたタイミングでちょうど旦那氏の帰還である。
お勤め誠にご苦労でござった。

さっと皿に盛り付け、うち何も食材なかったでしょーチャーハンよくつくれたねーという旦那氏からの労いの言葉に若干鼻を高くし、厳しい戦いを共にした、黄泉の国から無理矢理蘇させられし戦士達に感謝の意を表し、いただきますと一口、口にいれた。

ん、。
これは、。

チャーハンだ。
確かに見た目もチャーハンだ。
香りもチャーハンだ。

でも味が遠い。
ゴールにチャーハンが待っているとしたら、ここは50メートル手前だ。

そんなはずはないと、もう一度ほおばりかみしめる。
うん、チャーハン、チャーハン、、遠くね?

チャーハンを食べているはずなのにチャーハン風だ、目の前にいるのはチャーハンなのに、チャーハンに限りなく近いチャーハンではないものを今食べている。

この哲学的な味。
ただのチャーハンを食べているはずなのに禅問答のようなたどり着けない正解を探しあぐねている感覚。

はっ。
これはチャーハンなんかではなく、
もしや、「ニュアンスチャーハン」なのではないか。

限りなくチャーハンに近いチャーハンではないニュージャンルの飯。ニュアンス飯だ。

そもそも目の前の飯がチャーハンであると誰が決めた?
チャーハンに見えるのは、目の前の飯を自分の中のチャーハン像に重ねているだけであり、それがチャーハンとは限らない。

これはなんとも奥深い飯を生み出してしまったと驚きと感嘆の入り交じる複雑な気持ちでチャーハンもどきを噛み締めていると、旦那氏がこう言い放った。

「ちょっと、醤油足そうかな」

ニュアンス飯、
それすなわち無味の飯なり。
いづくんぞニュアンス飯をつくらんをや。

(現代語訳:ニュアンス飯とは味のうっすい飯である。
どうしてニュアンス飯をつくることがあろうか、いやない。)

美味しいか美味しくないかはおいといて、哲学の世界に誘われたくなったとき、ニュアンス飯、ぜひお試しあれ。(味見をしろ)


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