味の記憶
お菓子マツザワのお菓子のコンセプトは、
「毎日食べたくなるような、素朴でやさしいおやつ」である。
故に、作るお菓子は脳天にガツンとお見舞いするような甘さや、胃もたれを起こしそうな脂質をなるべく感じさせないようにしているつもりである。(つもりである)
しかしそれはお店の商品の話であって、マツザワ自身はどうかというと、めちゃくちゃジャンキー舌である。ジャンキー舌ってなんだ。
肉、ポテト、マヨネーズ、チーズ、揚げ物などなど。
字面をみただけでも太りそうなものが大好物だ。
和食のような薄味調味の料理も大好きではあるが、忖度なしで、
Don't think, Feel.
といわれたら素直にハンバーグです。
おろしハンバーグとかじゃなくて、チーズハンバーグか、目玉焼きハンバーグです。
以前働いていた和食の店で、休み明けには料理長に「休みの日何食べたん?」と聞かれていた時期があった。
これは純粋に私が食べたものを知りたくて聞いているのではなく、休みの日に食べたものから料理に対するインプットはあったのかという成果報告の確認であった。
しかし私としたことが、当時はまだ社会人2年目で上司の質問の意図を汲みとれなかったことと、休みの日は大好きなものを食べたいという自分の欲求に素直かつ正直な若輩者であったために、2週連続で「ハンバーグです」と答えてしまった。
その結果「なんやそれ、おもろないねん」とブチ切れられ、それ以降休みの日に何を食べたか聞かれることはなくなった。
上司の信頼と期待を損ねるレベルでハンバーグが好きなのである。
こう書くとさながらハンバーグ狂のようだが、別にハンバーグマニアなわけではない。
肉か魚だったら肉。
和食か洋食だったら洋食。
煮込みか揚げ物だったら揚げ物。
オニオンリングかポテトだったらポテト。
脳内で繰り広げられる二者択一をわき目もふらずに突き進めた結果、
いつも最後に残るのはジャンキー飯。
食の好みが男子中学生なのである。
確かに人間の脳的には、甘いもの、脂質の高いもの、味の濃いものに反応してドーパミンが出やすくなるため、これはジャンキーという文字通り一種の中毒症状という可能性も否定はできない。
しかし病的にそればかり食べているわけではないことや、それしか食べられないということでもないため、単純に好みの問題であるとにらんでいる。
旦那氏は無類の魚介好きで、貝や魚が大好きなのだが、私は一人で飯を食う時に貝や魚という選択肢は微塵もない。
今日はスーパーで惣菜買って帰るか~となったときに、旦那氏が嬉々として焼き鮭弁当を選んでいる姿をみて内心ギョっとしつつ(魚だけに)、私の中でスーパーの惣菜は餃子かから揚げの2択なのである。(例外として寿司はすき)(ただのワガママ)
「素朴でやさしいおやつの店M、私生活ではからあげ餃子三昧!?」
まるで下世話な週刊誌のタイトルのようだが、店の味や人に食べさせたい味とは別に、癒される味というものは誰しも持っていると思う。
前出の料理長も、店では店のコンセプトに合った繊細な料理を考え提供していたが、天下一品やてんやが大好きだった。
鬼の副料理長も、和食で働いているのに中華にうるさく、サイゼリヤが大好きだった。
仕事や建前、付き合いとは別に、それぞれの癒される味があるということはとても尊いことだし、好きな味を前にテンションがあがっている料理長や副料理長をみるのは、なんだか嬉しいことでもあった。
好きな味というのは、きっとその人の中に蓄積された幸せな記憶なのである。
純粋においしいという気持ちだけになれる、その人にしかない宇宙だ。
なんで自分はハンバーグ好きなのかな〜
なんでスーパーの惣菜だったら餃子と唐揚げなのかな〜
そう考えていると思い当たる節があった。
ハンバーグ。
母の手料理の中で1番2番くらいに好きであった。(たらこスパゲティと1位タイくらい)
マツザワ家のハンバーグはソースがオーロラソースっぽいピンク色で、まろやかな酸味が特徴だ。
次の日のちょっと硬くなった肉にソースをたくさんかけて、ご飯にのせて食べるのがお気に入りだった。
餃子と唐揚げ。
これもマツザワ家の食卓によく並んだ。
母が仕事で疲れたとき、スーパーで惣菜を買ってきたのだが、私のお気に入りはSEIYUの餃子と綿半の唐揚げだった。(綿半は長野にあるスーパー併設のホームセンター)
ちょっと水分をすってブヨブヨになった皮と、にんにくとキャベツたっぷりの餃子。
甘めの味付けで、こちらもにんにくがしっかり効いたサクサクのから揚げ。
ご飯のお供に最強のコンビであった。
これか〜
まぁ結果としてジャンクなラインナップだが、こういう幼少期の記憶が今の嗜好につながっているんだな〜と気づく。
味の記憶、たまにはさかのぼってみるのもいいものです。