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厄年パニックで厄ばらいに行った話
突然だが、今年、私は前厄である。
去年あたりから、同い年でその分野に感度が高い友人が
「厄払いに行ったほうがいい」「七色のものを持つといいらしいぞ」などと言っていた記憶がある。でも、そういったことに疎い私は「ふむふむ」と受け流していた。
風向きが変わったのは、一年が始まった1月1日。
友人からの「あけましておめでとう」の類のLINEの中に「今年は厄年だけど、頑張ろうね!」という一言があった。
さらに、姉とのLINEで「私は今年、前厄らしいんだよね」と言ってみると、
「ええっ大丈夫?厄払い、したほうがいいよ」と返ってきた。
姉なんかは翌日、両親と一緒に行った初詣で「あんたの分まで厄払い系のお願いしておいたよ」とまで言われた。恐れられている。とても恐れられている。
そういうものなのか、、と思い始めながら、正月を終えて日々の生活を過ごし始め、雑談の中で「私、今年前厄なんですよね」などと話しているうちに、
どこからか厄年を経験し者たちが、私の前に自己申告して現れてくれるようになった。
「えっ今年前厄なの〜?私の時は、、(なんか怖いエピソード)」
てな感じで、みんな辛かった経験を乗り越えたエピソードを持っている。
持参して、ゾロゾロみんな教えてくれる。みんな言いたくてうずうずしている。
みんな、なんでもない顔して、そんなエピソード抱えていたの?すごすぎる
最初の方こそ、面白い現象だなァ〜こんなみんなから大変だったエピソードを教えてもらって、厄年ってのも経験するもんだなァ〜
などと呑気にしていたが、
「入院した」「事故にあった」「ご両親が重篤な病気になった」などという怖いエピソードが、実体験をもってしてリアルに語られるとだんだん怖くなってきた。
あるおばさまは「厄はね、自分じゃなくて親族に影響することもあるのよッ」と教えてくれた。
そんな迷惑な存在になってはいけない、とも思い始めてきた。
だんだん「自分は前厄だ」という事実が頭の片隅を占拠していた1月中旬。
私は会社の小さい階段から足を滑らせて落ちた。
落ちて「痛い」より先に「これが、、、前厄ってコト!?」となったとき
だめだ、私の脳内が「前厄」に侵され始めている!!!と怖くなり
「厄払い、行こう」と素直に思った。
ちなみに、その夜、「前厄だからか、階段から落ちた」と夫に言うと「大丈夫。それはね、ただ足を踏み外しただけだよ」と冷静に教えてくれた。
うん、そうだよね。知ってる。私がバカだった。
厄年の時は、冷静な人を傍にいてもらうに限る。
さてどこに行ったのかというと、ネットで調べて、都内の「阿佐ヶ谷神明宮」。夫も一緒に。
阿佐ヶ谷神明宮は、かわいい刺繍のお守りや、御朱印が有名なところでして、
一時期、御朱印集めにハマっていた私は一度足を運んだことがあったけど、とっても空気が澄んでて、素敵な場所です。
ちなみに、刺繍のかわいいお守りもひとつ買った。
全然お守りに見えなくて、とても気に入っている。おみくじもした。中吉だった。
本格的な厄払いは初めてだったけれど、なんか私は生まれ年の関係で、今年は前厄に加え、「少し運勢が弱い人」にも該当するようでして
窓口のお姉さんがまっすぐ私をみて「ご安心ください、阿佐ヶ谷神明宮は全ての厄を祓うことで有名でございます」と言ってくれたので、もはや阿佐ヶ谷神明宮に胸を預ける気持ちで臨んだ(重い)
終わると、なんか立派なお札もいただける。小さい御神酒やお米なども。
ちなみに、夫と二人暮らしの我が家はこういうお札を飾ったことがなく、かつ賃貸なので特に神棚とかはないんだけれど、どの向きで飾るとかの指示があった。
我が家のインテリア類は、私は特にこだわりがなく、夫に全て任せているのだけど、シンプルで木の温もりを大事にする感じのコーディネートでまとめてくれているので「お札浮いちゃうかな?」と思っていたら
夫が「目線より上って言ってたね」などと当たり前のようにお札を飾る方向で一緒に考えてくれていて、なんだかありがたかった。
いや、「インテリアに合わないよ」なんて絶対いう人じゃないんだけれど、人によっては嫌だったりするかもな、と思ったから素直に「ありがとう」と感謝した。
帰り道、夫と有名な喫茶店に行った。
私はミルクティーと、ワッフルを頼んだ。有名で食べログの評価も良いところだったので楽しみにしていたのだけれど、ワッフルが冷めていて、ついてきたフォークががっつり汚れていて「前厄、、!?」と頭をよぎりそうになったけど、「んなわけないか、はらったし」と思った。
単純なもんだなと思う。
ちなみに、その後、とても穏やかで幸せな毎日を過ごしている。