水彩刀剣のあゆみ
始めたきっかけはほんの偶然のようなアドバイスとの出会い。それから早3年以上、主にTwitterで地味に知られるようになってきた感のある『水彩刀剣』の活動ですが、改めて振り返って今後の事も加えて考えてみようかと思います。
閉じた線のモチーフ
自分で言うとかなり面映いですが、一応画家として水彩画を中心に画業に勤しんでいるわたくしマツヨイですが、美術というものを専門的に学んだという事が皆無の独学の絵描きで、自分の中にあるテーマやシリーズのようなものによって画風はバラバラ、こんなのも描けばあんなのも描く、という結構漠然とした絵描きです。
『水彩刀剣』に繋がるアドバイスを貰った当時も今も、本来的な画風は「ちょっと鮮明ないわさきちひろ?」というくらいボヤッとした線を描く人間なのですが(下図参照。2017年以前かその頃のものです。ペンネームも現在の画業のものとは違うのが残っていますね)
商業イラストレーターとして当時から活動していたママ友であり絵友でもある友人から、「線の閉じたモチーフに着彩する練習してみたら?」と言われたのがそもそもの始まりでした。
とはいえ、急にそう言われても当時普段の(いや今でも割とそうなんですが)画風というかタッチのベースが上のような状態なので、線の閉じたモチーフというのを考えるのに首を傾げ、頭を捻り……そもそもモチーフって一体何、のような哲学に入り始めた時に机の上に「刀剣春秋」という機関紙が置いてあったのが目に入りました。
ええ、刀好きなのは子どもの頃からなので今に始まった事ではありませんで……。そういう機関紙が机に無造作に置いてあっても不思議はないんですよ……?
で、暫くそれとにらめっこして、「刀なら線、閉じるんじゃね?」と思ったのです。刀の画像で線が閉じてなかったら大変な事ですね。酷い写真資料になってしまいます訴えられる←
こうして、本当に軽い気持ちから、写真の刀を線で起こして着彩するという事をしてみよう!となり、その辺にあった紙に手当り次第、機関紙の写真もただ上に重ねてある順で、刀のポイントを採寸し、適宜拡大縮小を計算して水彩ブロックに写し(ブロック紙なのでトレスは出来ない)輪郭線を取り、見えるがままに着彩していくようになりました。
夜な夜なの作業。これが『水彩刀剣』の始まりでした。
(下図はとても恥ずかしい最初の一枚。銘吉光 名物信濃藤四郎です)
夜な夜なライフワーク
それを始めた当時が2017年の秋頃。当時は本当に何も深く考えずに刀の姿を写し、見える情報を色にして着彩していくという事を続けていました。子どもも小さかった為、寝かせて自分の個人的なスペースという名の穴蔵← に引き篭もっては夜な夜な刀の絵を描く毎日……それが段々一日一振りくらいのペースになっていき(今から考えるととんでもないスピードなのですが)一つひとつにメモを入れる楽しみも相俟ってライフワークのようになっていました。
折しも刀剣ブームの只中、今よりもうちょっと熱があった頃でしたから、ゲームに登場する刀剣の本体画像を扱うと反応も良くて、本体の絵でも見て楽しめるんだなぁ、くらいに思っていました。
気がつくと、実際に日本刀に関わる仕事をされている刀職の方や、意外にも古くからの刀剣愛好家さん達が楽しんで見てくださるようになっていて、大きな展覧会の見学会の折に原画を持参した時には大変興味を持って頂けました。
丁度20数振り集まった所で冊子にまとめた時でもあったので、それをお求めくださった方も多かったです。ありがとうございます。
その頃は冊子にまとめたのを機に(そしてちょっと面倒なというか、彫刻表現が難しい刀を前に尻込みしていて)ちょっと描くのに間が空いてしまっていた時期でもあったので、その辺りで採寸方法や採寸点の反映の仕方、その場所、使用する紙の固定、見た目の鋼の色の表現以外の部分の表現にも試行錯誤を始めていました。
新しい採寸方法で描くようになったものが下のような感じのもの。
2枚目の燭台切光忠は、当時反響が大きかった作の一つで今でも気に入っています。ちょっとメモに間違いがあったりするのですけどね……。
当時も今も、絵の具で真っ黒、真っ白、金、銀は使わないという縛りで描いているので、かなり黒に近いように見える部分も混色で出来ています。
これらの頃になると、流石に一日一振りとはいかず、大体続けて作業していたとしても1週間で一振りというくらいのペースになっていました。作業環境が変わったのもあるんですが。
そして2020年の1年間で評判が良かったのが下の銘国綱(本来は安綱。後代で字画が加えられて銘が変えられている)鬼切丸・髭切でした。
これは実際に展示に行った時に可能だった撮影で撮った写真から起こしたものも入っていたので(特に特別な展示をされていた時だったので)臨場感があったようで人気が高かったです。……これにもメモミスがある(恥)
刀剣誌のワンコーナーへ
2020年といえばこれが一番印象深かった出来事でしたね。
これより一歩手前に、実家の母からの依頼で、母の友人の子どもさんのお祝いにと、御守刀を有償で描いていたという時期が挟まるのですが、それが何回か重なった頃、突然軽い案内の気持ちで載せていたサイトのお問い合わせフォームから一通のメールが。
何事かと思ったら刀剣を中心に扱うムック系の本の編集部さんからの連載のお誘いでした。
一瞬何の事か分かりませんでしたよね。リアルに変な声が出ました。
勿論お断りする理由もなく、突然にその次の10月号から『水彩刀剣』として短文も含めたワンコーナーの連載を担当させて頂く運びとなりました。
コラム『水彩刀剣』の始まりでした。
第一回は丁度その頃瀬戸内市、長船の刀剣博物館で展示されていた無銘一文字 号山鳥毛(さんちょうもう)で、初手から最難関な刃文に挑む事になってしまいました。どうしてこうなった、と何度も自問自答しながらゲシュタルト崩壊していく刃文と戦って描いておりました。
その画像がこちらになります(著作権等は当方に残して下さっています)
……頑張って描いたなぁ、刃文……(モデルが非常に高精細だったので)
今も隔月で短い文章と共に掲載頂いています。『刀剣画報』さんという刀剣誌なので、ご興味のある方は書店やオンラインなどで是非。
ご相談はお気軽に
そんなこんなでお仕事として水彩刀剣を描く事になった私ですが、Twitterに載せる事を目的としたメモ入りの作品も描き続けていますし、主に依頼主は母ですが、友人知人にお子さんが生まれると、そのお祝いでご兄弟(姉妹)も含めて御守刀をセットで描かせて頂く事も続けています。
その他にも、個人的なご依頼として、特定の名物名刀(新々刀までくらいの現代刀と比して古い刀ですね)を、サイズ色々で個人の為に描かせて頂くご依頼も受け付けています。ご案内のサイトがささやかながらあるので貼っておきます。
現在の所4種類のサービスを設けております。
拵(こしらえ)を専門に残す為のサービスも新たに設けましたのでご参照頂けると幸いです。
何か気になる事がございましたら、どうぞお気軽にお問い合わせ、ご相談くださいませ。
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ではまた次回!
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