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未来は過去からできている。#未来のためにできること
最近、撮影練習を始めた。
今後業務拡大させるために始めた、小さな一歩だ。
普段、映像制作を生業としているが、これまでは「一人でできるから」と、イラストを使ったアニメーション動画が主だった。
そのため撮影は敬遠していたのだ。
今では日々、映像制作や子育て、家族との時間を優先させつつも、スキマ時間を見つけては撮影の練習をしている。
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そんな僕のキャリアは、一貫性がないように思える。
ほどよい進学校に通っていた僕は、いわゆる成績不振者だった。WHOと書くべきところに、GTOと書いて笑われた記憶がある。
「大学はおろか、専門学校すら危ういぞ」
「なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないんだ?」
と、担任に怒りを抱いた記憶もある。
そんな僕が一念発起して、あろうことか受かったのが教育大学だった。
教師が大嫌いだったのに、気がつけば高校の教師になっていた。
そこから教師一筋で、気がつけば15年以上が過ぎていた。
「もうすぐ40歳か」
平均寿命で考えれば、日本人男性の40歳は人生の折り返しだ。
僕は、40歳になる年に教師を辞めた。
いきなりフリーランスで、映像制作を生業とすることに決めたのだ。
家族……特に妻には感謝してもしきれない。
聞けば、不安はほとんどないのだと言う。
「これまでの努力や行動を全て知っているから、先のことなんて、何の心配もしていないわよ」
本当にありがたい。
過去の行動で未来の安心が買えるのだと、知った。
もちろん息子にも最大限の感謝を伝えたい。
折を見て「とうちゃん、大好きだよ」ときちんと言葉で伝えてくれる息子の存在に、数えきれないほど救われてきた。
余談だが、なぜ全く畑が違う「映像制作」を生業にしたのか。振り返ってみると(無意識だったが)ここにも「過去」が関係していた。
大学在学中に、「みんなで映画撮りたいね」と話していた記憶があったのだ。
教師志望の人たちが集まる学校だったので、もちろん実際に映画を撮ることはなかったのだが、脚本くらいは書いた覚えがある。無意識の意識かわからないが、昔から「映像制作」に興味があったのだ。
僕にとって未来とは、過去に何をしたかによって決まることが多かった。
少しでも良い過去がつくれるよう努力することが、未来のためにできることではないのだろうか。