シェア
プロローグ「おじさんが一人で観覧車に乗ると、人生が変わる」 そう聞かされて信じる人が、今のこの日本にどれほどいるのだろう。そんなに多くはいないはずだ。 ほとんどの人にとって観覧車は二人以上で乗るものと思っているから、まず「一人で乗る」発想がないだろう。自分探しと称して一人でインドに行くような人ならば、一度くらいは試すだろうか。 もとよりおじさんともなると、今さら自分の人生を大きく変えたいとも思っていない。昔の僕と同じく、埃まみれの人生でも誇りを持って生きているのだか
← 第一話 から読む 円山とゼロ「こんなに高い、観覧車に……」 なんとか振り絞って出したその声は、周りの雑踏にすぐかき消される。 「普段は10分くらいでご乗車いただけるんですが……」と、金髪の男女四人組のグループに向けて丁寧に説明しているスタッフの声の方が、まだ大きく感じた。 スタッフに横柄な態度を取ったって早く乗れるわけでないのに、なんでああいう輩たちはいつも自分たちが正義だと思っているのだろう。 「嫌なら乗らなければいいのに」僕は周りに聞こえないようにボリュームを
← 第一話 から読む ← 第二話 から読む 日奈田とタワー「おーい、そろそろ行くぞー」 「はーい、今すぐ!」 相変わらず自己中でご都合主義の上司だなと思う。私はいつも通り、隠れて舌打ちをした。早く向かいたいのなら、手分けして荷物を持っていった方が早いのに。そういうところがあるから、奥さんと子どもも愛想をつかしたんじゃ無いだろうか、と勘繰ってみる。答え合わせをしてみる勇気はないけれど。 「自己中上司のやっつけかた、知ってる人ー?」とかSNSで聞いてみようかなー、反応は良
← 第一話 から読む ← 第三話 から読む 円山とタワー 僕は何を聞いているんだ、とは思った。いい歳こいた僕みたいなおじさんが「観覧車を作る予定はありませんか?」とは、直球すぎる。真っ直ぐにボール球だ。危険球の可能性だってあった。 「タワーだけではバランスが悪いので、観覧車も一緒に作りませんか? ほら、神戸もそうなっていますし」と話せば、会場の雰囲気もまた違った結果になっていたのかもしれない。 観覧車のゴンドラがあったら、入りたい気分だった。 赤面した顔を隠すよう
← 第一話 から読む ← 第四話 から読む 日奈田とタケル 市長殺害事件から2日経った今、私は入社してから未だかつてないほどの使命感に満ちていた。 うちのケーブルテレビ局は、基本的に政治的なニュースは一切扱わず、地元に密着したイベントやスポーツ、パッケージされた番組だけを放映している。理由は簡単、その方が敵を作らなくて済むからだ。 ケーブルテレビ局の敵は、他のテレビ局でもケーブルテレビ局でもない。ズバリ視聴者なのだ。 視聴者に敵対されたら最後、契約件数が減ってしまう
← 第一話 から読む ← 第五話 から読む 円山と日奈田 奈良の観光地から少し外れにある、奈良と大阪を結ぶ幹線道路沿いの小さな喫茶店。マンションやビルに囲まれ、雑居ビルの1階に店を構えるその店先には、黒猫がモチーフとなった看板が掲げられている。そのロゴは、ブランドイメージと店名の両方を表していた。 僕はアイスコーヒーとモーニングセットを2つ頼んだ。ここのホットサンドは美味しいぞ、奢るからどうだ? と半ば強引に勧め、日奈田はどっちでもいいですよ、という顔をしていた。
← 第一話 から読む ← 第六話 から読む 日奈田と大塔「ごめんね、大塔くん。忙しい時に」 「いや、大丈夫だよ。どうしたの?」 やっぱりこの声を聞いてしまうと、ちょっと緊張してしまう。先生に「探ってほしい」とお願いされたとはいえ、なんだか本音を隠して彼に迫らなくてはいけないのは喉の奥に痛みを伴う。 「今忙しい? 今というか、今晩なんだけど……」 「うーん、そうだね……今日はちょっと難しいけど、明後日なら大丈夫だよ」 「それじゃ……明後日の夜、会ってもらえると助かるんだ
← 第一話 から読む ← 第七話 から読む 円山とゼロ、2「やっぱ、夜って疲れますね」 制服を脱ぎながら僕は話しかける。 「そうか? 俺は朝の方が辛いけどな。寝坊すんの怖いし」 2つ上の先輩は、制服に着替えながら答えた。 うちの会社は朝中心の日勤、昼過ぎからの夕勤、夜から深夜にかけての夜勤という三部制でシフトを組んでいる。いつもであれば、日勤スタッフと夜勤スタッフとでは、顔を合わすタイミングはない。しかし今日は夕勤のスタッフが一名、急遽仕事に来られなくなったと会社に
← 第一話 から読む ← 第八話 から読む 円山と大塔「……はい」僕は電話に出た。 「先生?」 「日奈田……か?」 声がいつもと違うように聞こえるが、女性の声ではある。 「先生って、名前何? 何先生?」 「ごめん、言っている意味がよくわからないんだけど」 「あんたの名前を聞いてるんだよ」 察しが悪いな、と舌打ちが聞こえる。 この電話の相手は日奈田ではない。それは間違いない。かといってそれが誰なのかは、皆目見当もつかない。あまりに不意打ちを喰らったせいだろうか。決断力
← 第一話 から読む ← 第九話 から読む イチとゼロ「あ、目覚めた? 意外と早かったね」 胸元がざっくりと空いたキャミソールに、薄手の黒いロングカーディガンが目に入った。視線を上げていくと、濃いアイラインとボリューミーな睫毛が特徴的な目の女と視線が合う。甘くて、鼻に重く残る香水の匂いがきつい。私は思わず顔を歪めた。 目の前にいる女があのときの広報の女性だとは、なかなか気が付かなかった。 まだ頭がぼうっとする。 お酒を一口飲んだあたりから、前後の記憶が全くない。