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観覧車グラビティ 第八話

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円山とゼロ、2

「やっぱ、夜って疲れますね」
 制服を脱ぎながら僕は話しかける。
「そうか? 俺は朝の方が辛いけどな。寝坊すんの怖いし」
 2つ上の先輩は、制服に着替えながら答えた。

 うちの会社は朝中心の日勤、昼過ぎからの夕勤、夜から深夜にかけての夜勤という三部制でシフトを組んでいる。いつもであれば、日勤スタッフと夜勤スタッフとでは、顔を合わすタイミングはない。しかし今日は夕勤のスタッフが一名、急遽仕事に来られなくなったと会社に連絡が入った。そのため、日勤と夜勤とで分担して、いつもより多めに配送先を回ることになったのだ。僕は仕事終わりに、先輩は仕事始めに欠勤したフタッフの分の荷物を代わりに配送することになっていた。

 隣で着替えている彼は、2つ先輩と言っても歳は僕の1つ下だ。お互いに少なからず気は使うが、おじさんになってからの2つや3つの年の差は誤差に近い。学生時代に聞いていた音楽は似ているし、テレビを見て育っていた最後の方の世代でもある。SNSについても、あまり良い印象を持っていないところも、僕と先輩とではよく似ていた。

 身幅の狭いロッカーが並ぶ更衣室で、せせこましく着替えながら他愛のない会話をしていると、学生時代を思い出して顔が綻ぶ。今も昔も、部室で喋るのは生産性のない会話だろう。しかしそんな生産性のない会話は全て、人生を豊かにするためには、必要な時間だったと思う。

「こういうとき、一人じゃないって思えて、なんかいいですよね」
「こういうとき?」
「病欠で休むってなったときに、その人がきちんと休めるの」
「当たり前だろ? そんなこと。ブラック企業じゃあるまいし」

 教師を経験するとそういう呪いがかかってしまうのかもしれないが、教師は押し並べて、なんでも一人でこなそうとする。一人でこなさなくてはならない、とも言えるだろう。
 自分の代わりに授業をしてくれる人は誰もいない。自習などに変更して授業そのものを先送りにすることはあっても、代わりに授業をしてくれる人なんていない。もちろん授業以外の校務も同様だ。「代わりにやっときましたよ」なんて仕事は、教師の仕事には文字通り一つもなかった。
 そんな「属人的な仕事の極み」のような働き方を長年してきたからだろうか。誰かが休んでもスムーズに仕事が回っていることを実感すると、奇跡を見ているような錯覚に陥った。

 一人の方が気は楽だし、仕事も早くこなせることが多い。しかしそれでは、いつまで経っても遠くには行けない。早く行くなら一人の方がパパッと行けるが、遠くまで行こうとするなら仲間が必要だ。自分一人でできることや、自分一人で抱えられる重さには限りがあるからだ。
 病欠で欠勤した人が受け持っていた、行き場を失った荷物の荷捌きと同じだ。サポートしてくれる誰かがいることは、本当にありがたいことだ。

 僕は、観覧車に乗ってゼロに会ってから、人に頼ることを覚えた。正確には思い出した、というべきかもしれない。人はいきなり変われない。「無意識の意識」による行動なら尚更だ。

 人と関わりを持つと傷がつきまとう。僕が傷つくこともあれば相手が傷つくこともある。毎年数百人、10年間ほどでのべ数千人の生徒や保護者を見てきた僕は、生活していくうえでのトラブルのほとんどは「対人関係」か「コミュニケーション」が原因であることを知っている。教師をしながら嫌というほど「ヒト」を見てきた僕が言うのだ。間違いない。誰かを頼るというのは、相応の覚悟が必要だと知っている。

 スマホの画面を上に向けて置くのか下に向けて置くのかを、いちいち頭で考えてから行動しないのと同じで、人は皆、無意識でどっちを守るのか判断している。
 仲間に頼るというのは、この「無意識で判断しているディフェンス感覚」みたいなものを、意識的に調整しなくてはいけない。人間関係のバランスと言ってもいい。そしてこのバランス感覚をとることこそが、結構難しい。
 自分を守りすぎた挙句、相手を傷つけてしまうことがある。反対に、相手を守りすぎたために、自分が深く傷ついてしまうこともある。

 だからこそ人は、すぐに効率を求めるのだろう。人との関わりをよりコスパ良く、よりタイパ良く行おうとしてしまう。
 グラデーションを作るのが苦手な僕たちらしい発想だ。

 かくいう僕も、人のことをとやかく言えたものではなかった。2度目の一人観覧車の時、月野先生の死因について何から調べ始めれば良いかわからなかった僕は、とりあえず、傘を持って一人ゴンドラに乗るところから始めた。答えを知っていそうな人に、タイパ良く、いきなり答えを教えてもらいたかったのだ。
 当時はもう6月に入っていたように思うから、今から2ヶ月ほど前になる。雨が降っていたから傘は悪目立ちしなかったし、観覧車に乗る人もほとんどおらず、ほぼ素通りでゴンドラに乗り込むことができたのは運が良かった。ゴンドラが9時の位置に差し掛かった時、ゼロは、なんの音も温度も匂いもなく現れた。
 握り棒を強く握り締め、シースルーの床のせいで踏ん張りの利かない足になんとか力を入れて、ゼロに訊ねる。

「あの、月野先生の死因を探すといっても、何から始めればいいのかわからなくて」
「円山さんが最初にすべきことは、仲間を見つけることですねー。月野さんの死因を探るには、一人だと大変難しいですよ」
「はぁ」
「誰か、前の職場で知り合いとか居ませんでしたかー? 仲の良かった人とか」
「いえ、特には」
「意外と寂しいものですね、円山さんの交友関係って」
 先生なのに人付き合いが苦手なんですね、とゼロは確かめるように僕に言った。
「誰か……おすすめの人は居ませんでしょうか?」この観覧車の存在を知ることになった、あの二人にでも頼れば良いのだろうか。
「おすすめは、元校長、教え子あたりでしょうか。死因について調べるなら、亡くなった方の関係者を味方にすると手っ取り早いですよ」
「元校長か教え子……」どちらも目の前にモヤがかかる。顔も名前もよく思い出せない。
「遅らせます?」ゼロが外を指差し、重たそうな上瞼を上に押し上げて僕に許可を求めてきたため、「1回、お願いします」と返す。
 これで8倍の時間が稼げた。世間よりも8倍早く年をとっていく。

「元校長や教え子の名前とか、教えてもらうことはできますか? 顔も名前を思い出せなくて……ヒントでも知れると助かるんですけど」
 ゼロは例によって音もなく右手にファイルを出現させ、ペラペラペラと書類をめくり、日常から切り取った顔写真を見て「ああ、この子なんかおすすめですけどね」そう言って僕に面通しした。
 自分で聞いておいて、なんだか品定めしているみたいで嫌な気分になる。あなたにぴったりな人はこの人です、と機械的におすすめされたような不快さが、僕の肌の上をなぞった。
「あ、日奈田」
 懐かしい。卒業以来会ったことはなかったが、学生時代の頃の面影が重なって、親心にも似た温かさが僕を包んだ。決して美人なほうではなかったが、今も昔と変わらずショートカットで、はつらつと仕事をこなしている雰囲気が窺えた。
「彼女、地元のケーブルテレビで働いているようですよ」
 そうゼロに言われてハッとする。この仕事場と思しき場所は、テレビ局の裏側のような場所だと気付かされた。それゆえ部外者禁止のような雰囲気もある。殺伐とした感じというか、プロが集まっているというか。そんな日常のシーンを切り取って写真にするなんて、ゼロはどんな手法でこのシーンを僕に見せているのだろうか。
「これ、どうやって写真に撮っているんですか?」
「知りたいですか?」
 違法アップロードの作品を盗み見るのと同じで、異性のプライベートの時間を盗み見た時点で、すでに何かしらの罪に問われているのかもしれないと感じてやめた。「いえ、結構です」

「あの、元校長の方って、今何しているとかって、わかりますか?」
 女性である日奈田のプライベートを勝手にのぞき知ることは気が引けたため、男性である元校長にシフトしようと考えた。しかしよくよく考えれば、同じだ。なぜ男なら良いだろうと思っているのだろう。僕も無意識のうちに差別や偏見があるのかもしれない。

 炎上の大半はいつもそうだ。よくよく考えれば止められるものが多いはずなのに、実際はそうはならない。無意識に意識していることは、よくよく考えないと行動に移せない。

「今、奈良市で市長をしているようですよ」例によってバインダーを出したゼロが、来場者の名前を探し出すような温度感で僕に伝えた。
「ちょうど来月、イベントがあるみたいですね。市長もケーブルテレビも一堂に会するような、大きなイベントが」
 もはやここまで来ると、ゼロがもつバインダーにはこの世の全てが記されているのではないだろうか。そんな錯覚に陥った。


 制服から私服に着替え終わった僕は、最後に鞄を取り出して、バタンとロッカーの扉を閉めた。
「お先に失礼します」先輩に向けて挨拶した。
「おう、気をつけてな」
「予報通り雨降ってきたんで、先輩の方こそ気をつけて」
「ありがとう」
 僕は手を振り、ネームプレートに挟まっているIDカードで端末にタッチする。傘立てに立てかけていた自分の傘を持って、会社を出た。

 このままどっかご飯でも行こうか。週末だし、一旦車を置いて飲みに出かけてもいいよな、などと会社の軒先で考えながら、鞄からスマホを取り出してみる。メッセージアプリの通知欄に「3件のメッセージ」と表示があった。
「珍しいこともあるもんだ」と、普段は息を潜めているスマホをまじまじと見つめ、画面のロックを解除する。アプリを起動して送信元は日奈田からだとわかり、日奈田なら飲みの誘いは無いかと、幾許か肩を落とした。

 定時連絡のように、要件のみ箇条書きで書かれている。
「おじさんは文章をまとめて打ちがち! 今の若い子はそんな書き方しない!」とテレビか何かで話をしていた、ギャルのようなモデルのような人の顔が浮かぶ。
 その人がいう「今の若い子」に日奈田の年代は入るのかわからなかったが、僕なら1件でまとめて打ってしまいそうだな、と思うとやはり自分のことをおじさんと認めるしかなかった。

 ルッキズムが問題になる世の中だが、おじさんのことはおじさんと呼んでも良いことになっているようだ。パワハラだ、セクハラだと、ハラスメントが30も40もあるこの国はついに、「マルハラ」まで登場したらしい。おじさんが文末に「。」をつけた形で文章を送ると、無意識に圧迫感を与えるからダメだ、という論調だった。
 また、ゴキブリの殺虫剤に描かれたゴキブリのイラストにシールで目隠しをする話も聞いた。
 そうまでして不快なものは見ないようにして、徹底的に容赦無く、気に食わないものを駆除する時代だ。おじさんはひっそりと息を殺しながら、慎重に生きていくしか無いように感じる。

 そんなことを考えながら、「ありがとう」「助かったよ」と手早く2つ返信した。続きをなんと入力しようか考えていたら、既読になったためハッとする。今まさに、スマホの向こうで審査員が睨みを利かせているような想像をした。「次のテキストは、おじさん構文になっていないだろうな?」と、試されるような気分。しかしその心配は杞憂となる。
 日奈田の方から、短くテキストが入ってきた。

「あんた誰」

 新しい若者言葉だろうか。アンタダレ。誤変換にしては候補が思いつかない。やはり表記通りの意味なのだろう。
 急に日奈田が記憶喪失になったとか……? いや、3件のメッセージを送ってきてくれたのは、ほんの2時間ちょっと前のようだ。合理的に考えてあり得ない。

 メッセージアプリを開いたまま思考を巡らせていたためだろうか。既読になっているのに返事がスムーズに返ってこないことに、スマホの向こう側にいるであろう審査員がイライラしたのかもしれない。
 僕のスマホの液晶が切り替わり、画面に「日奈田」と表示される。日奈田から電話がかかってきた。

<続>

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