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グッバイ、来世でまた会おう。
《もしもね、僕が死んだら。》
優しいメロディに乗せて優しい声でそんなことを言うものだから、ドキリと歌い出しで一気に心を掴まれる。
《庭のね 野良猫になるよ 毎日好きなことをして 君のね 寝顔を眺めるよ》
カモシタサラ、『グッバイ来世でまた会おう』
昨年、マイナビ未確認フェスティバル2019で、初めて聴いたこの曲が耳から離れずに、終演後に物販に足を運ぶと既にCDは完売。あの日以来ストリーミングでずっと聴き続けている大好きな一曲。
(現在は、インナージャーニーという名前で活動しているようです)
この曲を聴いて筆者が思い浮かべたのは、スピッツの『猫になりたい』という曲である。
《猫になりたい 君の腕の中
寂しい夜が終わるまでここにいたいよ》
独特の世界観に、優しい歌声とメロディがスピッツのこの曲を思わせる。
スピッツの『猫になりたい』が、
猫になって君の腕の中にいたいよ
という自分目線の願望を描いているのに対して、
この『グッバイ来世でまた会おう』は、
僕が死んでも猫になって君のそばにいるよ。
だから何も心配することなんてないのさ。と
カモシタサラさんの純粋で優しい世界観が曲の中に現れている。
素敵な曲の世界観の上に、カモシタサラさんのふわふわとしていて優しいようでまっすぐぶれずに胸に届いてくるような歌声。
胸に刺さる、というよりも、届く、寄り添ってくれるような、そんな歌声だと感じた。
「グッバイ、来世でまた会おう。」
死と聞くと、辛い、怖いと連想しがちだけれど、そんな感情もこの一言で軽々飛び越えて肯定してしまう。
当たり前に生まれ変わって、当たり前に来世でも一緒にいられるような気持ちにしてくれる。
大切な人への大切な気持ちを、こんなに優しい世界で表現できたらステキだなと思わされる。
まだ20歳やそこらということに驚かされるが、この曲を代表曲に彼女たちが武道館などの大きなステージに立つ日が来たら、必ず見に行きたいなと思う。
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《もしもね 僕が死んでも あの日のレコードをかけて
いつでも君だけのために ロックンロールを歌ってあげる》
音楽はいつまでも生き続けるし、再生ボタン一つでいつでも寄り添ってくれる。
もちろん生で見るライブも最高ですが、どん底のような生活で誰もいない一人きりの時でも音楽だけは側にいてくれる。
長く先の見えない不安な自粛生活の中で、音楽ってそもそもそういうものなのかなと思う筆者でした。