ママ友疲れ × フロム・ダスク・ティル・ドーン
ママ友疲れ × フロム・ダスク・ティル・ドーン
バイオレンスバカ映画に勇気をもらう
ろくに調べもせず、何も考えずに一番近所の幼稚園に子どもを入れました。入園後わかったのは、母親同士の交流が密で、保護者が主体的に参加するイベントも盛りだくさんの園だということ。近隣に知り合いすらいなかった私は、焦ってしまい、最初の保護者会の席でクラス委員に立候補しました。こうでもしなければ、誰とも交流せず孤立していくのが目に見えていたからです。
私は高校までの学生時代、あまり周囲に馴染めていませんでした。友達はいたし、不登校にはならなかったもののずっと居心地が悪く、今でも学校や集団行動は苦手です。しかし子どもを育てるからにはそんなこと言ってられません。逃げられないことに対しては全乗っかりで行くべきだというのが大人になってからの私の持論です。及び腰でいるより本気で取り組む方がずっといい、と。しかし私はその頃、今よりずっと神経質で疲れやすい人間だったのです。
ただ同じ年度に子どもを産んだというだけで何の共通点もない人たちと一体何を話したら良いのでしょう。サブカルやオタクの趣味は隠した方がいいに決まっています。夫は家事も育児も積極的だし、子どもは物分かりの良い方なので家庭の愚痴を言い合うこともできません。毎日送り迎えのたびに顔を合わせ、打ち合わせやイベント準備でいつ家に帰れるのかわからない日も多く、家にいてもLINEの通知が鳴り続けるような状態はかなり辛かった覚えがあります。
でももちろん、予定がない日もありました。初めて子どもが手を離れて、たった数時間でも幼稚園で過ごしてくれる。その幸せを享受できる日に、私は映画を観ることにしました。暴力的で、勢いがあって、面白い映画がいい。そう思って選んだのがクエンティン・タランティーノが脚本を書いた九十年代の映画『フロム・ダスク・ティル・ドーン』でした。前半はかなりヒリヒリしたクライム・サスペンスといった趣なのですが、後半はまるで別の映画のようになるのです。人間に擬態していた吸血鬼たちが本性剥き出しで暴れ回り、主人公たちがそれを殺しまくるという展開なのですが言動の全てがもう派手でバカで。私は吸血鬼が擬態を解いた瞬間楽しすぎて、両手を上げて「フゥー!」って言いました。大袈裟じゃなく本当に。
映画が終わる頃には無敵状態になっていて、いつも少し憂鬱なお迎えの時間も気持ちに余裕がありました。若くて大人しくて頼りない感じの私が、あんなにバカで血みどろな映画を観た直後に子どものお迎えにきている。そしてそのことを誰も知らない。それがとても心強かった。
その後色々な出来事を経て、本音を言える大切なママ友もできました。最後の年は役員までやって、完全に適応できた気がします。幼稚園で過ごした三年はあまりに濃密で、第二の青春みたいな日々でした。一人の時間が必要なタイプでも、パソコンでできることやスケジュール管理など得意分野でしっかり働けば仲間として認めてもらえるのだなと感じました。あと話してみたらオタクやサブカル趣味の人も結構いました。ママ友ってマイナスイメージを持っている人も多いかもしれませんが、擬態ばかりせず時には曝け出してみた方が面白いかもしれません。というわけで、あの日勇気をくれてありがとね、タランティーノ。
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