安全に攻撃に対処する稽古をする:合気道のキホンの考え方について②
色んな人と稽古する中で、見つけたこの考え方はあった方がいいなと思うことをちょっとずつまとめていこうと思う。
今回は「攻撃」について。
合気道の技のほとんどは相手の攻撃に対処するものだけど、攻撃されるというのは危険なことだし、こうした稽古を安全に行うのは実は難しい。
安全な攻撃をしてはいけない
多くの合気道では「攻撃」は甘くなりやすい。
どちらかと言えば攻撃に対処する方が主の稽古だし、形稽古という約束がある上でそれを破ってまで攻撃をブチ当てるメリットはほとんどないのだ。
だがそうなうると甘い攻撃にしか対処できなくなってしまう。
合気道はベースとしては武器があって、武器は当たるだけでも危険なのに、当たっても危険ではない稽古をしていたらそこにズレが生まれてしまうのは必然だ。
前提は一撃必殺
合気道は刀とかナイフとか、あるいは銃みたいな必殺の武器でこちらを一発で仕留めるために攻撃してくる相手に対処する。
こうした攻撃は危険だが安全でもある。なぜならちゃんと狙った所に狙った攻撃が来るということだからだ。
第一段階としてはフェイントをかけているだとか、打撃と見せかけて組みに行くとか、そういう複雑な攻防を想定して稽古しているわけではない。
ただ一発当たったら死ぬ攻撃が繰り出されているというだけなのである。
そういう稽古をする上では武器がなくても、仮に武器を持っていれば当たれば確実に命を奪う程度の攻撃でなければならない。
安心安全の場所
きちんと攻撃をされる稽古をすると何がわかるのかというと、攻撃は打ち出された瞬間が一番安全だというこがわかる。
剣でいうなら正面打ちで、相手が上段に構えて斬ろうと振り下ろす瞬間。その瞬間はもう止められない。
自動車でいうところのアクセルを踏み込んだ時、くらいの感じだ。本当に仕留めようとして打ち出す攻撃はもう止められないのだ。
これはなんだか危なそうだけれど、そこで落ち着いていられるのなら一番安全な瞬間になる。
ここに攻撃が来る!ということが明確にわかっている状況なのだから、そこさえ避けたりカバーすればいい。むしろどこから攻撃が来るかわからない状況の方が危険なのだ。
「される」から「させる」へ
こうした相手に狙いをつけさせることが、合気道開祖の言っていた「我より進みて……」といった話にも繋がってくる。
合気道のあらゆる形はまず相手からの「攻撃」を受けた形になっている。手首を掴まれるのも、肩を掴まれるのも、正面や横面を打たれるのも、突きも、すべてがまず一手相手から攻撃されている。
これを相手に「される」から「させる」へと変えるために必要なことは自分から差し出す、踏み込むということだ。
自分から相手に狙いをつけさせる。手を取らせる、正面を打たせる、そういう対応ができれば、その先を見据えて動けるようになる。
あえて相手を攻撃させて、その崩れた瞬間を狙うというわけだ。
相手に攻撃されているのではなく、むしろ自分が主導で相手を動かしている。そういった稽古も必要になる。