モテようと思ってる内はモテない:合気道でモテるとは何かを考える
合気道ができるようになるということはモテるようになるということなのかも知れない。
よく「モテようとするやつはモテない」という話があるけれど、合気道でもこれはまったく同じなのだ。
相手を崩そうとするやつは結局はその必死さのせいで崩せない。
モテるとは何か?ということを正しく理解しない限り、合気道もまた理解できないだろう。
必死なやつほど前のめり
人には承認欲求がある。そして、それは言語化できない無意識のレベルで存在している。
モテたいというのは一番わかりやすい欲求のひとつで、そして大事なことは「モテたい」と思っている時というのは「モテてない」時だということだ。
モテたい、お金が欲しい、褒められたい、みたいな欲求に振り回されている時ほど距離感を見誤る。本質ではないことをしてしまう。
簡単に言えば近道をしようとしてドツボにハマるという感じだろうか。
モテる姿勢ではない
モテたいと思っている時、人は前のめりになり、前のめりになると文字通り物を持てなくなる。
よしんば剛力で持てたとしても早晩腰を破滅させる悪い姿勢で持つことになるのだ。
前のめりの姿勢では相手を持つという基本的なことができない。
要するにモテようとして前のめりになっている時、人は決して楽にはモテないのだ。
大変な苦労をするなら確かにモテるかも知れないけれど、それはいつまでも続けられるものではない。
モテるとは何か?
つまり合気道から我々が知ることのできることは、モテるようになるにはモテようとしてはいけないということ。
モテようとすればするほど、姿勢は前のめりになり、距離感は近くなり、モテなくなる。
適切な距離がどこかを知るためには、まずは自分の方に注目しなければいけない。
自分が楽に立っていられる場所、謙遜したり自分を大きく見せたりする必要のない場所。
相手を抱えてしまうことのできる場所、持ち上げることのできる姿勢、そういった状態でいる場所こそが自分が相手をモテる場所になる。
自分が持たれかかってしまったら相手がモテたとしても自分ではモテない。そうではなく自分で相手をモテることが大事なのだ。
合気道でいう所の「最初から勝っている」というのは、そういうことだと思う。
さぁ合気道をやってモテモテになろう!