目先の勝ちを捨ててトータルで勝つための型稽古:合気道の型稽古は何を目指しているのか?
実は負けることは勝つことよりも重要だ。
そのことをおれが幼くして知ることができたのは初代ポケモンのおかげだ。ポケモンには学びがある。
ポケモンとはモンスターを育成して戦わせるゲームで、ゲームの中にもさまざまな対戦相手が用意されているのだが一度勝ってしまうと再戦ができない。次なる相手を求めてさまよい歩かなければならない。
ところが相手にわざと負けるとすぐに再挑戦できる。
これを利用することで、効率よく自分のモンスターに経験を積ませてレベルをあげることが可能だ。
そうやって効率よくレベルを上げたモンスターで同じ時期にはじめた友達と対戦しようとしたらレベルに倍以上の違いがあって戦ってすら貰えなかった。
時には、あえて負けることで大きな経験を得ることができる。
そういうことは世の中によくある。格闘ゲーム業界でも日本人は集まって対戦するけれど、海外では賞金がかかった試合が多い為に、互いに持っている技術を隠し合ってしまい、結果的に日本とプレイヤーの質の面で差が開いてしまうということが起こっているらしい。
実は負けを恐れることは、本当の勝利を遠ざける。
型稽古という負けの学習
合気道で行われる型稽古はふたりで行うもので、これは勝ち負けを最短のサイクルで交互に繰り返す稽古だ。
勝ち負けが実力や運に関係なく役割として決まっていて、勝ち役と負け役を交互に行いながらひとつの技を稽古していく。
これを知らん人がみると、なんか予定調和というかマニュアル通りというか発見のなさそうな稽古だと思われがちだ。
でも実際にやってみると、そうでないことがわかる。
これはある意味では勝たせる稽古だ。組んだ相手が自分よりも弱かったとしても自分は負けなければならないし、相手にはちゃんと勝ってもらわないといけない。
弱いものに勝たせなければいけない。弱いものに負けなければいけないというのは一種の矛盾だ。
現実ではなかなか有り得ない光景だけれど、だからこそ稽古になる。
荒木飛呂彦著『ジョジョの奇妙な冒険』より抜粋
強い者が勝たない
合気道歴30年の人間に果たして今日はじめたばかりの初心者が勝つことはできるだろうか?
ベテランと初心者では大人と子供ほどの実力差がある。細かい精神的な話を抜きにして実力だけで見れば現実に真剣勝負をしたなら100回やれば100回ベテランが勝つだろう。
だが型稽古の場合には相手に勝たせなければならない。
つまり大人は子供に、どうやったらその現状の状態で自分を倒すことができるかを教えなければならないのだ。
これは実は勝つよりも難しい。
高橋和希『遊戯王』より抜粋
わかる人にだけわかる子供を勝たせるシーン
どうすれば子供に勝たせることができるか?
力もない、経験もない、才能もない、そういう問いの中で、それでも現状のままで大人に勝つ方法を考えて教えなければいけない。
稽古という言葉は古(いにしえ)を稽(かんが)えるから来ている。
確かに大人のパワーはシンプルな答えだけれど、シンプル過ぎるが故によりパワーのある者には勝てない。
もっと深い答えが必要になのだ。
強くなくても勝てる
だから物理法則やこの世の自然の摂理を考える必要がある。
無理なく相手を倒す条件を探す。そういうことが型稽古の目指すべき形だ。
もちろん腕力や権力や金といった力を使って勝つことも可能だ。でも型稽古の中でそれを使ったら、限界は近い。
そういった力は勝ちたいから出てくる。
だけど、勝ちたいから出す力というのはもっと勝ちたいやつの力には勝てない。
相手に先んじる為に、相手よりも強く、相手よりも早く、相手よりも知識を蓄え、とにかく相手よりも多くを持っておく必要がある。
それはいずれジリ貧になっていく。
衰えたら、病気になったら、子供のような力しか出なくなったら……。
青山剛昌著『名探偵コナン』より抜粋
面白い事に合気道では難病を抱えていたり、筋肉が断裂したりして普通の人より弱い人に出会うことがある。
でも稽古で筋肉もあってバリバリに動ける若者がその人達を圧倒できるかというと、そうはならない。
そういう人が若者よりも多くやっているのは型稽古だ。勝つことと負けることの繰り返し。
負けて負けて力や筋肉をあきらめた所に、勝つための答えはある。
まとめ
パチンコとかでも、トータルで勝ってるという言い訳がある。
誰もその内訳を知る者はいない。
いいんだ、トータルで勝ってるから。人生とはそういうものなのかも知れない……。
おわった