アイスクリーム課題を眺めて考えた合気道の表と裏の話
noteとかTwitterとかで「アイスクリーム課題」とかいう文章の読解力問題みたいなのがちょっとした話題になってた。
会話も合気道だと思ってる身としてはこれはなかなか面白い「型」だと思う。どういう課題かは以下を参照されたし。
要するに問題の意図としては「あなたは他人の目線で物事を考えられますか?」ってことなんだろう。
アイスクリーム課題
ジョンとメアリーは公園にいる。公園にはアイスクリーム屋さんの車も来ていた。メアリーはアイスクリームを買いたかったがお金を持ってきていなかった。アイスクリーム屋さんは午後も同じ公園にいるというので、メアリーはお金を取りに戻った。しばらくしてアイスクリーム屋さんは教会に行くとジョンに伝え、去っていった。その途中、メアリーの家の前を通ったアイスクリーム屋さんは、メアリーに教会に行くことを伝えた。しばらくして自宅に戻ったジョンは、宿題のことで聞きたいことがあり、メアリーの家に行ったが、メアリーはすでにアイスクリームを買いに出かけていた。ジョンはメアリーを追いかけて行った。
(a6r『「アイスクリーム課題」が理解できなかった』より引用)
答えはコチラ
(引用元)
答えは「公園」になる。
6万7千票のうち7割が正解している。まぁこんだけ票が集まってれば誤差はそんなにないんだろう。
ただ「この問題、厳密に考えたら公園とは言えないのでは?」という意見もある。要するに「教会」や「その他の場所」という答えも実は間違ってないんじゃないかってことだ。
実際に文章そのものの粗探しをすれば、いくらでも別の答えを見つけることはできてしまう。
完璧な型など存在しない
これは当たり前の話だけど、万人が答えに納得する文章というのはあまり存在しない。あらゆる物事には色んな解釈というものが存在している。
正解はないけれど考え方の比率はある
ようするに「公園」という答えは多数派の意見くらいの意味しかない。
問題というのは基本的にどの程度の人間になら解けるかを想定した上でつくられている。アイスクリーム課題は正解率7割の問題ってことだ。
なぜ合気道の型には表と裏があるのか?
合気道の型には表と裏がある。
めちゃくちゃざっくりと説明すると表は正攻法、裏は奇策だ。
7割が表を想定するから裏をかける。
集団戦とかで考えるとわかりやすい。
数の多かったり訓練された兵士は正面からぶつかっても勝てるけれど、数において不利だったりしたなら伏兵を敵軍の背後に回したりとか、策が必要になるのだ。
このように正面から素直に文章を受け入れないパターンというのが必ずあるからこそ、裏への対処を忘れてはいけない。
結論としての極論
そんなわけで型に表と裏があるのは、両方の事象に上手に対処するためだ。
文章というのは悪意を持って読めばいくらでもツッコミ所を見つけることができる。
それはつまり、正解を不正解にすることもできるし、不正解を正解にすることもできるということだ。
(荒木飛呂彦『スティールボールラン』より)
右でも左でも選べるようにしておくことが大事である
契約書なんかがわかりやすい。
契約書に書かれていないことというのは、どうとでも解釈できてしまう。
だからこそ、「解釈に問題が生じたらそのつど文言の追加について協議する」みたいなふわっとした一文が効果を発揮したりする。
文章だって厳密さを重視しすぎると長ったるいだげのクソみたいなものになってしまいがちだ。
そんなことを考えてた。
おわり