合気道の宇宙観を使って物事の中心を考えてみよう:武産合気解説
合気道においては屈指の難解さを誇ると言われる開祖の口述した内容について、できるだけフランクにかつ、現代風に考えてみようという試みますぜ。
今回はフラットな視点について、人類は存在そのものがハラスメントになりつつあるという愉快なツイートを見かけた。
だけどこれはある意味では物事の正しいあり方で、正義とはどちらの側から見るかで変わってしまうということ。
そして一方の側に立つと反対側とは相容れなくなる。つまり、分断が生まれる。
中心とは何か?
合気道の創始者である植芝盛平は『武産合気』という本で合気道とは宇宙と同じものだと語っている。
それによれば、この宇宙の始まりは◉←こんな感じのポチっとした点からで、すべての根源であるその点から物質と精神という相反するものが生まれて、そこから色んなものがまるで細胞分裂のように倍に倍に分裂して生まれていったのだという。
まぁ要するに複雑な生命体と同じように、複雑な宇宙も分割されていくプロセスを経て今に至っているわけで、むしろこの考え方でいけば生命の方が宇宙の発展を模倣してるのかも知れない。
すべての物事には「はじまり」があって、それがどんどん分裂していってもはや同じモノとは思えないくらい変わってしまっているけれど、元を正せば同じ物から発生している。生き物だって◉からはじまって、だんだんと複雑で多種多様な形になって生まれてくる。
すべては一元に通じる
合気道ではこのはじまりを「一元」という。
一つの根元という意味で、どちらに偏るでもなく、まずこの中心に立たないと物事をフラットに見ることもできない。
大事なのは分裂していった結果、すべてが別物になったのではなく、もともと同じだったということ。
『DNAの旅』っていうしょーもない動画があって、自分の国籍とかに誇りを持ってる人達がDNA鑑定の結果、思いもよらない地方や民族の血が混じっててビックリするという動画だ。
ちょっと考えりゃわかることだけど、人間の祖先はたどっていけば一人にいきつく。
日本人の祖先をたどれば源氏か平家に行きつくし、人類の祖先をたどれば人類発祥の地であるアフリカに行きつく。全人類が同じ場所からスタートして色んな方向に歩いて行った結果、各地域に適応して人種的な差異ができたわけだ。
宇宙と同じになる
合気道が目指すところはこの宇宙とひとつになること。
合気道の技も相手にかける過程で色んな風に動きが変わるけれど、根本となる部分は変わらない。
要するに根本的な部分があって、そこから派生しているのが宇宙であり、生命であり、人間であり、合気道の技だということだ。
変わり果てた今の姿だけみれば、とても同じものから生まれたとは思えないけれど、もともとは同じものだと考えれば逆に共通点が見えてくる。違いを探せば敵対するけれど、同じを探せば和することができる。
武産合気を読んでいると、そういうことを伝えようとしていたんじゃないかなと思う。
対立は矛盾ではない
そういう風に考えれば対立しているということは、別に矛盾しているわけではない。右とか左とか上とか下とか、違いはあるけれど、それはもともとは中心だったものを分類しているに過ぎない。
むしろ新しいものを産み出すためには相反するものが必要となる。
古事記における国産み神産みではイザナギとイザナミの欠けているところと余っているところを埋め合わせることで行われる。これはセックスのメタファーみたいに言われていたりしてるけれど、
単純に余剰を足りていない所に回すことで新たな可能性を産み出せると読むこともできると思う。
相反するもの同士のバランスを整えてやることで技も生まれる。
もともと同じものなのだから、合わないはずがない。それらを組み合わせて産み出すという宇宙の摂理と同じ事を自分に身体でするのが合気道ではないだろうか。
おまけ
最後にこの記事を書くにあたって参考にした『武産合気』に書かれている実際の口述部分を一部だけ引用しておこう。