合気道マニアック本解説『合気道を学ぶ人のための古事記入門』井上強一/治郎丸明穂
今回はこの本についてざっくりと解説していく。
書いたのは養神館で塩田剛三の高弟であり、塩田剛三亡き後には養神館の二代目館長も務めた井上強一先生と、格闘技系のライターであり神道系の宗教もやっているらしい治郎丸明穂氏。
基本的に「なぜ合気道修行者は古事記を学ばなければいけないのか?」という問いに答える井上強一先生パートと、
「古事記の基本的な知識と開祖の宗教観についての解説」を担う治郎丸明穂氏のパートに別れている。
この本の大半の部分は治郎丸氏による古事記や開祖の歴史についての解説みたいな感じになっているのだが、個人的に面白かったのはやはり井上先生による塩田剛三エピソードだ。
そんなにページ数が多いわけでもないけれど、要点はまとまっている。
第1章:なぜ古事記が重要なのか?について
井上強一先生の塩田剛三エピソードがとても興味深かった。
塩田剛三は植芝盛平から9段の審査を受けた昭和36年に「もう充分、体術ができておる。これからは神になる修行をしなければならん」と言われていたらしい。
当初は「俺はまだ、神様になりたくねえな」と笑っており、養神館としては合気会との差別化もあって神話的な話ではなくあくまで鍛錬を行っていこうという方針だったようだ。
ところが晩年の塩田剛三は「合気道とは天地自然と一体になることだ」「(開祖の神話的な発言の)裏付けが取れてきた」というようになり技も厳しいものから力を抜いた技になっていったという。
井上強一自身も稽古していくにつれて合気道開祖の言葉と合気道の技との繋がりについて実感していくものがあったらしい。
この辺は古事記……というかそれを元に開祖の言葉を理解していくことの重要性についてはわりと説得力のある材料が説明されていると思う。
第2~第3章:古事記と開祖の略歴について
古事記の解説については治郎丸明穂という人が解説している。
どうやらこの人は塩田剛三の著書『対すれば相和す』の編集や格闘技系の記事を書いていた後に、神道に入ったらしい。
ちなみにこの本の著者略歴にようと養神館初段、合気会初段とのこと。
Wikipediaみたいな大きな情報はないんだけれど、Amazonの著書などによると現在はこういうのを書いている人のようだ。
この辺についてどう考えるかは人それぞれだろう。
ちなみにおれはあんまり興味ない。
とはいえ一応は神道系宗教に携わっている人なので、古事記の解説についてはいくつか興味深い部分もあった。
あとは開祖の略歴、これはもう個人的に飽きるほど調べたので初心者むけという感じ。
第4章:開祖と古事記神話について
この辺の話については「合気道開祖の宗教的な話」を「宗教家である治郎丸明穂」が解説・解釈しているという感じなので、あくまで宗教の話になっている。
神様の名前がいっぱい出てきてわかりにくい開祖の話を、神様の名前をいっぱい出して解説しているので、わかりにくい。
開祖の話が古事記のどういう話なのかを説明しているのであって、実際の合気道の稽古において、相手と対することにどう関係があるかについてはあまり触れられていない。
個人的には古事記と稽古をどう解釈していくかが重要だと思っているので、あくまでも古事記の解説という感じだった。
オススメポイント
やっぱりなんといっても井上強一先生のパートが面白い。
塩田剛三のエピソードから考えるべきことは「やっぱ宗教的な思想を持つ事って大事なんだ」というようなことではなくて、「なぜ、境地にたどり着くと宗教的な事を言い出すのか?」という部分だと思う。
合気道開祖の霊的な話には冷笑的ですらあった、あの塩田剛三をもってしても、晩年には同じ事を理解できるようになってしまったのは一体なぜなのか?
このあたりに合気道というものを理解するヒントがあるように思う。
それは単に宗教的な知識を持つとか、神様の名前を覚える、みたいなことではなくて、稽古と共に開祖の言葉が理解できるようになっていくという現象にこそ意味がある。
そのあたりの裏付けが取れるという点では面白い本だった。
あと個人的には合気道を学ぶ人にとっての古事記知識というのはそんなに重要じゃないと思っている。
確かに開祖の言葉には古事記に関連するものが多いのだけれど、それは大本教のベースがあり、独自に合気道の説明へと転換させているので、古事記の知識が深いからわかるものでもない。
というわけで合気道を学ぶ人は開祖の言葉を知っておいて損はない。最初はわけわからんと思うけどね。
その他
あとの神道的な部分についての評価は読む人によって変わると思う。
どのタイミングで読めばいい本なのかなかなか難しい。
自分にとっては今更だったけれど、そうでない人もいるだろう。
以上