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すべては無であるということを理屈で悟ろう:怪しい合気道的思考法
よく悟りとされる物事のひとつに、この世は「無」であることを悟る、みたいなのがある。
「無我の境地」とか「色即是空」とか「本来無一物」とか言われてるやつだ。
昔の人は修行を積んで悟ってたらしいけど、最近は色んな研究が進んでるし、理屈の上でもイケるんじゃねぇかなとオレは思っているので試してみたい。
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という哲学における究極の問いみたいなやつがあるけど、ちょうどこれの反対が悟りだ。
まぁ別に悟りに詳しいわけではないので本質的に正しいのかどうかは知らんけど、とりあえず理屈でこの世は無だってことくらいわかるんじゃね?という感じ。
名前はどこから来たのか?
物には名称なんかなくて、区別する必要ができたときに名称がつけられるのだ!的なことを言い出したのは言語学者のソシュールだ。
あらゆるものの名前は最初からあったわけではなくて、必要にかられてだんだん増えて行ったのだから元をたどっていくと無にたどり着くのではないだろうか?
人のつくった基準、例えば1年、1ヶ月、1週間、1日、1時間、1分、1秒、といった時間の単位も必要がなかった頃には存在すらしていない。なかったものに理由をつけて区切っているだけだ。
だから何かの名称なんてものはそもそもなかったのに、勝手に都合良くつけただけなのだ。
病気はどこから来たのか?
病気はどうだろう?
確かに見ることはできないけれど、ウイルスは存在しているし、実際に人々を苦しめてきた。
人類史においても常に病原菌は人の命を奪いまくっている。これは確かに在る。けれどいつから在るだのだろう?
人類が病原菌によって大量に死にだしたのは農耕をはじめた後、集団生活を行い始めてからだ。
集団になることで、本来は増えないはずの動物が増え、本来なら感染する前に消えるはずの細菌が人から人へと移っていく。
人類がここまで密集しなければ、そもそも病原菌だってここまで繁殖していない。最近の新たなウイルスは人が産んだものともいえるわけだ。
そもそも生物がいなけりゃウイルスだってこんな風にはならなかっただろう。
意識はどこから来たのか?
意識が遅れてやってくるってのは、今では割と有名な話になってきてる。
手を動かそうと思った数十秒も前から動作自体は始まっている。まぁ身体だって予備動作なしにいきなり動くのはシンドイので、動き出しがあることらおかしなことじゃない。
そして頭の中で今から動き出しをつくってそれから右手を伸ばしてペットボトルを掴もうなんていちいちやってたら効率が悪すぎる。
脳みそは身体を動かしているというよりは、動いた結果の理由付けをしているに過ぎない。
だから意識はあるにはあるけど、無意識に意識を操作することはできない。
なにもないとしても信じればそれはある
人類が他の動物と一線を画した存在になれたのは「虚構を信じることができた」からだとサピエンス全史の著者ユヴァル・ノア・ハラリが書いていた。
「神」を信じることで、信じられないほど多くの数の人類が「仲間意識」を持つことに成功している。同じ神を信じているだけで。
ないものを「在る」と仮定することで、人類は豊かになっていったんじゃないだろうか?
無からしか有は生まれない
合気道開祖は宇宙のはじまりについて、完全なる無に突然、ポチっとした⇒・(点)が生まれたという。
そこから陰と陽が生まれて、陰からまた陰の陰と陰の陽、陽からは陽の陰と陽の陽、物と心の陰と陽が生まれていったと説明している。
一、あるいはゼロから無限に派生していったのであり、これはあらゆるものごとの根本は一つであるという考えに基づく。
オーストラリアの先住民族が部族を分類していくのにも似ている。太陽の胞族と月の胞族、白オウムの胞族と黒オウムの胞族、それらの胞族はもともとはひとつの部族から枝分かれしている。
あるいは先住民が物を分類する作法にも似ている。
AではないからBを生み出す。陰と陽、違う物は分ける、分類するその作法を無限に繰り返せばどこまでも細かく分類していくことができるわけで、無から有を生み出し続けるのだ。
無からこそ陰陽が生まれるのだ。
無があったから、有が誕生した。最近の物理学では今の宇宙とはまったく逆方向に向かって広がっていく裏宇宙みたいなのがあるんじゃないかって説すらある。
要するにそういうことだ。ないから生まれる。だけど忘れてはいけない。
もともとはなんにもない。
なんにもなかったところから、人がつくり続けて今がある。
そういうことなんじゃねぇかな?
まとめ
といってもこれは個人の感想なので、参考にするなり否定するなり好きにしてもらっていい。悟りとかいうものにも色々と段階があるらしいので、まぁこんなのは初歩的なものでしょうよ。
シンプルに物事の増え方、生まれ方はだいたい一緒じゃん?という話しでもある。
とにかく根源的なところをたどって巻き戻していくと結局はどんどん無に近づいていくということ。
おわる
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