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「泣いた赤おに」は鬼の話じゃないと大人になって気づいた話
子供の頃、泣いた赤おにの話が好きだった。
放送委員会だった小学6年生の時には、給食時のお昼の放送で朗読したくらいだ。
当時はシンプルな話と理解していたけれど、30年たって読み返してみると単純な話ではないと思った。
泣いた赤おに(ネタバレあり)
人間と仲良くなりたい赤おには、ある日戸口の前に立て札を立てました。
「ココロノヤサシイ オニノウチデス ドナタデモ オイデクダサイ」と
けれども村の人たちは警戒して一人として近寄ろうとはしません。
それを聞いた親友の青おにが一計を案じてくれました。
「村で僕が暴れるから、僕をおさえて、僕の頭をぽかぽかなぐればいい。そうすれば人間たちは君を信用するさ」。
赤おには躊躇しながらもその言葉に従いました。
やがて安心した村人たちは競って赤おにの家を訪れるようになりました。
けれども青おにはそれ以来一度も訪ねてきません。
「キミト ツキアイヲ ツヅケテ イケバ、ニンゲンハ キミヲ ウタガウ コトガ ナイトモ カギリマセン」心配してたずねていった赤おには、誰もいない青おにの家の戸口にこの張り紙を見つけました。
それはこうくくられていました。
「ドコマデモ キミノ 友ダチ 青オニ」。
赤おには涙をながして泣きました。
集英社HPより
当時は青おにのやさしさや友情に共感していた気がするのだけれど、今読み返してみると赤おにも青おにも幸せになっていない。
青おには家を離れざるを得なくなり、赤おには大切な親友を失ってしまった。
この話は赤おにの思慮の浅さに対する教訓、もしくは青おにの思いやり、友情について語られた話なのだろうか?
この話の本質は赤や青の鬼の話ではなく、「自分の周りに鬼がいる社会」についての話だ。
作者の浜田廣介は1893年(明治26年)生まれ山形県の農家の出身だ。私も田んぼしかない町で昭和時代を過ごしたけれど、明治時代の田舎はその比較にならないくらい、同調圧力や差別や偏見が残っていたのだと思う。異質なものを排斥しようとする圧力は相当な強さだったと想像する。
ひるがえって令和時代はどうだろうか。SNSその他の異常な同調圧力や特定の個人への攻撃、赤おにのような異質な他者への過剰な攻撃は、今の方が陰湿で悪質かもしれない。
青おにのような別の矛先をつくって攻撃してみても根本的に何も解決しないのは昔も今もかわらない。
私を含め、ほとんどの人は赤おにでも青おにでもなく村人だ。この話で本当に考えるべきは、村人はどうするべきだったのかということなのだろう。
村人たちはあの時、どうするべきだったのだろうか?
私たちは今、どうするべきなのだろうか?