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過去からやってきて、未来に伝わるもの
札幌は今日も朝からずっと雪が降っている。
先月まで記録的な少雪だったのだけれど、「カニを食べると無口になるね」という(これをカニハラというらしい、色々なハラスメントがあるものだ)言葉と同じくらい札幌の人が言う「一冬の積雪、結局は帳尻があうよね」と言う話を何度も挨拶代わりに言い合っている。シーズン前半が降らなかったと分を取り返すべく、2月は雪雪雪。もう帳尻は合ったので、そろそろやめてもらいたいところだけれど、なかなか勢いが止まらない。
そんな中、プロジェクトも大詰め。心配する社内の役員が雪と同じように毎日押し寄せてきて、進捗報告を求める。偉い人が進捗を確認しに来ても、別にプロジェクトが好転するわけでもなく、その相手をする時間分仕事ができなくなるので黙って見守っていてほしいのだけれど、そんなことを言うと角が立つので、ニコニコと出迎えて進捗説明。サラリーマンの鑑として日々働いている。
今回のプロジェクトは総勢50名体制。特に今回は若い社員が多く、彼、彼女たちも右往左往しながら奮闘している。働き方改革で仕事の時間に制約がある中で成果を求められる今の職場環境は、経験値やスキルの乏しい若者たちにとっては非常に過酷だ。何の仕事でもそうだと思うけれど、実務は座学では覚えられず、実際にやってみて試行錯誤しながら覚えるしかない。プールで泳ぎ方を教えてもらえるわけでもなく、いきなり荒波の海の中に放り出されて見よう見まねで手足をバタバタさせながら泳いでいるようなものだから、全然進まないし、水を飲んで息も絶え絶え。横で見ていると泳いでいるのか溺れているのか見分けがつかないくらいだ。見ていられずに手を差し伸べたいとも思うけれど、今海から引き上げたら、次のプロジェクトでもまた泳げないままだ。それが彼らにとっていいとはどうしても思えず、ハラハラしながら見守る日々を送っている。
今週、女性の若手スタッフが2日連続で休んだ。熱があるので休みますと報告を受けていたけれど、直属の上長に聞くとかなり仕事で煮詰まっているということだった。昨日になって出勤してきたので、まわりに人がいないタイミングで「大丈夫?風邪?」と話掛けたら、「風邪もあるんですが、気持ち的にもつらいんです」と素直に話してくれた。
わたしは、「自分のペースで一つずつやればいい。いくつもまとめて仕事はできないよ」といつも通りの話をしたけれど、正直彼女に響いたか、伝わったかは自信がない。今はプロジェクトの最終盤で具体的な課題解決の方策を立案検討するというフェーズではなく、最終的な成果物をまとめ上げる段階だ。テクニカルなことよりもやり切る力、覚悟の様なものが求められる段階になっていて、あまり具体的なアドバイスはないのだ。
今の彼女にはまだ響かないかもしれないけれど、この仕事が終わった後やこれから先の人生の中で私の言葉や今の仕事での周りの人たちからかけられた言葉が響けばいいと思う。私はこれまでのプロジェクトでつらい時に先輩たちからかけてもらった言葉に今でも助けられている。
過去の私にかけられた言葉は、今も私のなかで響いている。過去と今はつながっていて、今と未来はつながっている。今の私は何十年も前に先輩がかけてくれた言葉やその人たちとの記憶で作られていて、それが未来の私になる。
今は響かなくても、私のかける言葉のひとかけらでも、未来の彼女たちに響いてくれればいい、そんな願いを込めて言葉をかける。
先達から私に伝わり、私を通して未来の人たちにこだまのように伝わっていく言葉。
多様性や社会の激しい変化の中でも、そんな風にして少しずつでも確かに価値あるものが受け継がれていくはずだ。
楽天的な私は、そう信じている。