20230414 恥の多い生涯
「恥の多い人生を送ってきました」と覚えていたら実際には「恥の多い生涯」だったのですね太宰治の『人間失格』の書き出しは。
御多分に漏れず私の生涯も恥まみれなのですが,自分の特徴として「恥ずる行動をするとすぐに恥をかく」ということがある気がします。恥をかくきっかけとなる行動をおこしても,ばれなかったり気づかれなかったりして恥をかくまで時間があくこともありますが,私の場合,恥をかく行動をするとすぐにそれがばれて恥をかくことが多い気がします。そのため,「恥をかいてすぐに反省させられる。」ことが多いのですが,それはなんだかんだで人生にプラスに働いているのではと思います。
で,今回かいた恥が何かというと,昨日書いた「博多祇園山笠の注意事項の“特権意識を持たない”というものはあまり他の祭で見た記憶がないし,それについての研究もあまりみたことがない」に関する恥で,今日読んだ『変貌する祭礼と担いのしくみ』の第2章にさっそく特権意識に関連した記述がありました。
中村 圭 2021 第二章 マンション町衆が担う山鉾町の伝統 ─京都祇園祭 蟷螂山. 牧野修也(編著) 2021 変貌する祭礼と担いのしくみ. 学文社.
京都祇園祭の担いに関しては,佐藤(2016)を入手済みですが内容が濃すぎてまだ目を通せておらず,また博多祇園山笠の費用負担の検討の中で担い方などにも言及している宇野(2005)も入手しておりますが近世についての記述なので読むのが難しい…もう少し分かりやすい文献あればな~と思っていたところに助け船のようにこの文献が現われてくれました。
佐藤弘隆 2016京都祇園祭の山鉾行事における運営基盤の再構築―現代都市における祭礼の継承―. 人文地理, 68(3), 273 – 296.
宇野功一 2005 近世博多祇園山笠における当番町制度と当番費用徴収法. 国立歴史民俗博物館研究報告, 121, 45 – 104.
筆者の中村 圭先生は2003年から現在まで蟷螂山の山鉾町に住まいを構えて参与観察および調査を続けられているため,書かれていることが具体的で分かりやすく,専門外の私でも頭に入りやすくてありがたかったです。以下,特権意識に関連しそうなところを適宜引用させていただきます。
こうした「参入障壁」があることは,参加の資格のある山鉾町にとっては誇りや特権意識を感じやすくなる要因でもあると思われます。博多祇園山笠の場合,飾り山は福岡ドームとかの遠くにあったり昔は香椎にもあったなど参入障壁は少なそうですし,舁き山に関しても千代流と中洲流は確か戦後に地域を広げる形で新規に参加したはずなので,そういう意味では山笠の方が参入障壁は低いのかもしれません。
そして「山鉾」の参入だけでなく,京都の場合は「三代住んでようやく…」などと言われるように,町衆となること自体の参入障壁がすごかったようで,以下にその点についての記述を引用します。
山鉾町に属するだけでこれだけの参入障壁があると,そりゃ参加者が特権意識を持つのは当たり前だよなあと。博多祇園山笠について,昔の博多部がこのような流に住むこと自体の参入障壁があったかどうかについては知らないので調べてみたいなあと思いました。ただ,おそらくですが明治以前の山笠に関するエピソードを思い出す限りでは,京都ほどの参入障壁はなかったのではと思っております。
ただ,こうした特権意識につながる参入障壁は,大正デモクラシーで家持層(「カモッツァン」)だけでなく借家人も祭の合議の席に参加できるようになるなど,障壁は低くなり特権意識は薄らいでいったことが書かれています。
これは,かつて特権意識を生み出していた「社会経済地位」の要因の影響がなくなっていく流れをしめしており,文献ではその後「マンションに住みだした新住人が祭に深く関与していけるようになっていくプロセス」について記述されていきます。
ただ,「では,祭の参加者に特権意識はなくなったのか?」と言われるとそうとも言えない気がして,特権意識を持つ要因として社会経済地位以外のものが存在していると考える方がよいとは思われました。今後,社会経済地位以外の特権意識の形成要因について明らかにしていきたいなあと思いました。