20230416 長浜曳山祭と博多祇園山笠での興趣の違い
一日雨で出かけられなかった土曜日から一転快晴の日曜日! これはお出かけ日和だ!というわけで暖かい日差しをあびながら出勤してお仕事しております??? 月曜1限に別キャンパスで授業があるのでその準備のために土日どちらかは出勤しないとだめなんですよね。・゜・(つД`)・゜・。
まあでもおかげで文献読む時間もとれ,先日から読み始めた『変貌する祭礼と担いのしくみ』も読むことができました。
本日読んだのは第3章。滋賀県長浜市の長浜曳山祭について武田俊輔先生が書かれた箇所でした。
武田俊輔 2021 第三章 都市祭礼の興趣とダイナミズムは維持されるのか -祭礼の「マニュアル化」がもたらすもの-. 牧野修也(編著) 2021 変貌する祭礼と担いのしくみ. 学文社.
まず,先日から関心を持っている「特権意識」に関する記述がないかと思いつつ読んでみると以下の引用の箇所が近いと思いました。
この,「名誉と威信」が「特権意識」に近いように思われました。
ただ,私が博多祇園山笠参加者に感じている「特権意識」は,本章で紹介されている「参加者同士の競い合いのゲーム」とは違うなあ…山笠でも当然各流同士でタイムを競うから「参加者同士の競い合いのゲーム」は存在するけど,「特権意識」とは違うよなあと。でははどこが違うのだろう?と思っていたらすぐ次に続く「希少性」という言葉に目が行きました。
おそらく,私が山笠参加者が感じていると思う「特権意識」はこの希少性であり,これは「山の舁き手」が「見学者」に対して感じる「希少な山の舁き手に私はなれている」という感覚なのではと思います。
そんな感じで長浜曳山祭と山笠の参加者が感じる「名誉や威信」には結構違いがあるのでは?と思い始めたので以下にそのあたりを書いてみます。
これまで,山笠をみてきてこのような「おもしろいことをいう」場面や「喧嘩」の場面に遭遇した記憶はあまりないなあと。「おもしろいこといって目立とうとする」のは関西人の宿命かと思ったりもしますが喧嘩についてはまた違うのだろうと思います。
山笠の場合,やはり主役は舁き山で,舁き手や後押しなどで山についている人はしゃべったりする余裕はまるでないと思います。そして,山の前を走ったりあとをついていったりする人は,参加者でありますが山についている人とは違って主役ではないため,目立つような言動をすることは望まれていないのだと思います。
そう思うと,長浜曳山祭の場合,「個々人が競い個人が評価されうるしくみ」があるからこそ個人の機転をきかせた発言や喧嘩が起こるのに対し,山笠の場合,基本的には各流の競い合いは櫛田入りのきれいさなどもありますが「タイム」に集約され「集団での競い合い」がメインになるため,喧嘩などがおきないのかもしれません。
まあでも長浜曳山祭での「喧嘩」がどんな感じなのかみてみたくなりました。今年はいつあるのかな~って検索してみると,4月15日!!!昨日じゃん。・゜・(つД`)・゜・。
ある意味なんというタイミングの悪さ…来年を待っても良いですがYoutubeなどで見てみたいと思います。・゜・(つД`)・゜・。
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