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20230222 祭を担う行き先

 祭の研究をみていると「担い手」「担い」という言葉をよくみかけます。基本的には祭に参加することを「担う」というのでしょうが,しかし単なる参加とは違って,なんというか「役割」「重荷」などの価値や重量のあるものを苦労して支えるような感じがしていました。
 Weblio辞書で調べてみると,「1物を肩に支え持って運ぶ。かつぐ。」,「2 ある物事を支え、推し進める。また、自分の責任として身に引き受ける。負担する。」という意味があるようです。

 祭りに関して言えば,この2番目の「ある物事を支え,推し進める」という意味合いがすごく価値があると思います。では,人々は祭を担うことで祭をどこに推し進めていくのでしょうか?
 
 この問いに答えてくれたなと思ったのが今日見つけた以下の論文でした。
 
東 資子 現在の都市祭礼を担う人々 : 滋賀県大津祭の事例から (坪郷英彦教授退職記念号). やまぐち地域社会研究, 14, 143 – 156.

 滋賀県大津市の大津祭を対象にして,どのような人に担われ,何がその継続を支えてきているのかについて研究した論文の中には,それぞれの町の祭の運営の一覧や昭和45年から平成26年までの各世帯の会員数の推移の丁寧な追跡などすごく有意義なまとめがなされていますが,私が一番印象に残ったのが以下の箇所でした。

 さまざまな作業には年齢に応じた振り分けとともに各家が得意とする事柄もあるという。たとえば、箱や袋を片付けて整理している人を指して「お父さんも同じことしてはった」と言い、人形の着付けをする人はやはり先代も担当していたという。また親の作業をその子供が手伝い、習っていた。祭りの継承、親子の絆は、人々に強く意識されることである。祭りに熱心だった親が亡くなったのを機に、それまでは祭りにそれほど参加していなかった子息が「親が大切にしていた祭りだから」と保存会の活動を引き継いだり、祭りの楽しみを「子供が成長していくの(を見られること)がうれしい」、「子供と一緒にできるのがいい」と語ったりする。そのように考えれば、曳山の上での親子の共演のひと時こそが、祭りの醍醐味かもしれない。囃子方を務めている男性が結婚し、男児が生まれて一定の年齢になれば、稽古場に連れて行き、鉦を叩かせ、同じ曳山に乗せる。親子で共演し、共有する何度かの祭りを特つことができるのである。やがて子供が大きくなり、親は曳山を降り、警固として曳山の運行を支える役割に回るようになる。祭りは、社会の中で家の継承を可視化できる場なのである。

 このあたり,祭によるgenerativityの感覚の獲得のすごいよい具体例になっていてありがたかったです。

囃子を奏でる囃子方を乗せた曳山の行列が大津祭りの主役であり、子供が鉦の囃子方になることが、個人にとっても家にとってもその祭りへの参加の機会である。囃子方として曳山に乗ること、子供を囃子方にすること、親子で共演することがそれそれ楽しみとなり、そのよろこひが人々を祭りに引き込み続けているのである。その一方で囃子だけでなく、警固として歩くこと、山建てや曳行、祭りや作業の場がさまざまな楽しみを人々は見いだしている。たからこそ多くの人がそれぞれ主体的に祭りに関わり、「自分たちの祭り」として繋ぎ、次世代に渡していっているのである。

 そして,農村などで祭を担う世帯の入れ替えが少ない場合とは違い,大津祭は都市祭礼で世帯の入れ替えが起きる頻度が多いと思いますが,新規世帯が祭に自主的に関わり担っていくことでgenerativityを獲得していくプロセスについてもまとめてくださっているのがありがたかったです。
 
 しかし,もしかするとこうした「祭参加によるgenerativity獲得」というのは,あまりに大きすぎ観光化した都市祭礼では難しいかもしれませんし,あまりに規模の小さい地縁のみの祭でも難しいかもしれず,「ある程度の都市化とある程度の規模」であるときに最適化されるような気もします。このあたりをさまざまな都市祭礼をみて検討してみたくもありますが,それはなかなか難しいよなあとも。

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