20241016 桐の花
小説家や漫画家の生原稿をみると、「こんなに直しているのだな」とか「こんな字を書くんだ意外とかわいいな」とか「いっぱい関係ないこと書いているのだな」などという印刷された完成版からはわからないいろんな情報がわかるとともに作家の人となりに接近できる気がして大好きです。
でもそういうのは執筆や作画がデジタルになるに従ってみえなくなるのは残念だなあと。
このあたり、ファイルに、完成版、本当の完成版、本当の完成版2とかのタイトルや保存日時を辿って「文章の校正」の歴史を辿ることはできると思いますし、おそらくそうした研究は現代の作家を未来の研究者が研究する時は間違いなく使用するだろうなと。
でもそうした研究の対象となる作家ではなくても、私のような無能研究者でも書いているブログがあるなら、そのブログを書くために使っていた文章の元ファイルをみるといろいろ考察できそうだなと。
自分の場合、結構な量書いて「やっぱりこれを載せるのはやめよう」と思い直して書くのをやめることがけっこうあります。
そうした「書いたけど載せなかった文章」と「載せた文章」の違いなどを考察すると面白いかもしれないなあと思いました。その人の持つ規範や要求水準などがわかるだろうけど、こんな情報を他人に提供することはないでしょうから、自己理解を深めるために自分でできるワークとかに採用するといいかもと。
昔で言えば「出せなかったラブレター」とか「心に留めた言葉たち」とかでしょうかね。