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20241007 共同研究の工数・人月 ギフトオーサーシップや「論文一本の価値」との関係

 私は数学が大の苦手で統計系の知識が少ないのでデータサイエンス系の研究ができず、またプログラム言語の知識もないので研究に有効なシステム開発などもできないため鳴かず飛ばずでありますが、そうした世界へのあこがれは消えていないのでつよつよデータサイエンティストや敏腕プログラマなどのSNSをフォローしております。
 そうした人たちの仕事をみていると、けっこう「工数」とか「人月」とかの言葉が出てきていて、あるプロジェクトが終わるまでにかかる日数や人数などの計画がしっかりしていて、それに基づいた予算もしっかり計上した上で開発をされていることが多いなあと。
 研究の界隈でもしっかりした共同研究をしている分野では、必要な機器設備や共同研究者の役割の分担、研究費の概算などが行われているので違いはないのですが…「つぎ込んだ研究費」と「それから得られる知見の価値」の間の関係については「研究費の妥当性」の視点で評価される割に「つぎ込んだ工数」と「そこから得られる知見の価値」についてはあまり検討されていないのではと思ったりします。
 具体的に言うと、ある競争的資金の申請書Xがあり、そこで研究費1000万が請求されているとします。その場合、申請書Xの内容は「1000万をかける価値があるか」の視点での評価は十分になされ、支給するかどうかや減額などについてはある程度客観的かつ誰もが納得のいく審査がなされるのではと思っています。
 しかし、その申請書Xにあげられている共同研究者の数が、3人であるか10人であるか20人であるかという工数に関する視点についてはあまり考慮されていないのではと思います。
 「得ようとする結果に対して人数が少なすぎる場合」については、研究体制の不備だとかエフォートが足りないなどの理由で却下される可能性があると思います。また、同じ研究者が無限にいろんな共同研究に関与して手が回らなくなることに関しても、重複申請の禁止や個人のエフォートが100を超えない範囲でしか申請できないなどのシステムで予防されていると思います。
 しかし、「共同研究者は10名でできるはずだけど20名あげられている」などの場合はあまりそれで申請が拒否されることはないのではと思ったりします。私は心理学、かつお金のあまりかからない研究しかしらないのでスケールの小さいイメージしかできませんが、「研究費1000万で共同研究者が10名」と「研究費1000万で共同研究者が20名」という申請書があった場合「20名の方はそんなに人数いらないから却下」とかいう判断を下すことはなかなか難しいと思います。また、「この人はフリーライダー!」とか「ここはギフトオーサーシップ!」とかいう指摘で却下するのはなかなか難しいのではと思いますしこれまであまりなされていないのではと思います。
 「ある知見を複数の論文に薄めて出す」ことはサラミ論文としてその問題性は指摘されやすいのにくらべて、「ある知見を見出すために必要な人数」については、ギフトオーサーシップ以外の視点ではあまり問題視されていないようにも思えます。
 論文とかを読むときも、「筆頭かコレスポか」あたりは気にしたりしますし、筆者が100名とかになるとマルチラボとかなのかな~とか思ったりしますが、10名と20名で「その論文の知見の有意義さ」などを考えて読むことはまずありません。しかし、1本の論文の共同研究者が10名と20名では、1本の論文を業績として計上できる人数が2倍になるわけなので、業績の数を増やすという視点では結構大きな問題ではあるのだろうなあと。
 このあたり何か研究があるのかなと思ってぱっと探してみましたがみつけられなかったので今日は書誌情報なしですが、この点については研究不正とかの文脈ではなく「共同研究者の人数と論文1本の価値判断」とかの認知心理学的な文脈で面白そうでなあとは思っているのでまた継続して探してみたいと思います。

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