20230224 祭とバレンタインの関係

  祭が継続するために時代にそくして変容していくことに関する論文は多く存在すると思います。今回読んでいた論文は基本的には「合理化」のプロセスを丁寧に追った論文だと思うのですが,最後にどんでん返しというか「合理化を進めるとそういうことにもなるのか!」という気づきを与えてくれるものでした。
 
鈴木昂太 2017 民俗芸能の継承と伝承組織の変容 ―比婆荒神神楽を支える「名」に注目して―. 総研大文化科学研究, 13, 1 – 27.

 論文の内容は要約が非常によくまとまっていてわかりやすいのでまずはそれを引用させていただきます。

 民俗芸能は、いかにして継続的に執行され続けられるのだろうか。本稿では、こうした命題を、芸能が伝承される地域社会の変動に応じ、従来の祭祀組織、信仰、儀礼を変容させて民俗芸能の存続を図ってきた、地域の人々の工夫に注目して考察を行っていく。事例としては、広島県庄原市東城町・西城町に伝承される「比婆荒神神楽」を扱う。この地域には、「本山三宝荒神」を祀るための「名」という組織があり、「名」は神職と神楽社を招き、「名」毎に異なる七年・一三年・一七年・三三年に一度の式年で、四日四夜にわたる「大神楽」を行ってきた。大規模な式年の「大神楽」は、多大な資金や人足が必要であり、「名」中の力を結集して行われる大事業である。そのため「大神楽」の存続には、「名」が経済的・労務的な負担などを負えるかどうかが、大きな影響を与えた。生業・生活の変化や人口流出といった、近現代における地域社会の大きな変化による伝承の危機に直面した時、「名」は、どのような工夫・変化をして、荒神祭祀を続けてきたのだろうか。東城町・西城町におけるいくつかの事例を見てきた結果、「大神楽」を続けていくために地域が選んだ工夫には、「名」の【合同】・【合祀】・【再編】という三つの方法があった。まず、数軒から一〇数軒の家によって構成される小規模な「名」が、いくつか【合同】し、共同で「大神楽」を執行する方法がある。また、村内の小規模な「名」それぞれで祀られていた「本山三宝荒神」を、すべて村氏神社の境内に【合祀】する地区もあった。さらに、西城町八鳥地区では、「組」という組織を基礎単位にして、村を代表する一つの大きな「名」と「本山三宝荒神」が新たに創出された。その過程では、もともと関係のない村氏神社の祭祀に、「本山三宝荒神」の祭祀を組み込むなど、地域の祭祀体系と「名」の【再編】が行われた。以上の【合同】・【合祀】・【再編】という工夫に共通していたのは、従来の小規模な「名」から、より大きい「地区(村)」へ荒神祭祀の執行主体を変更させることで、「大神楽」に参加する軒数を増やし、一軒当たりの費用・労務負担の軽減を図るということである。村全体で「平等」に、負担を「少なく」して「大神楽」を実施するという原則は、祭場の変化や費用負担の方式など、「大神楽」の執行形態を変更させることにもつながった。この変化により、高度経済成長期以降の生業の変化、人口流出といった大きな危機にも対応できた。その一方、平等化を推し進めた結果、かつて「大神楽」が持っていた村落内身分の再生産、富の再分配の場という機能は、失われることとなった。

 私が興味を持ったのが,要約の最後の「その一方、平等化を推し進めた結果、かつて「大神楽」が持っていた村落内身分の再生産、富の再分配の場という機能は、失われることとなった。」の箇所でした。村落内身分の再生産や富の再分配の場の機能の喪失とはどういうことなのだろうかと思って読み進めると以下の引用の部分に具体的かつ分かりやすく説明されていました。

 「大神楽」の費用は、…(中略)…非常に多くの資金が必要であった。その分担の仕方にも特徴があり、地主―小作(名頭―小作)関係を背景に、「名」(地区)内の有力な家(名頭)が、費用の大部分を負担するのが慣例であった。
 …(中略)…坂野家の当主が「大神楽」の開催を決定し、開催資金の拠出を表明すると、そこから地域を挙げて「大神楽」の準備が始まっていった。この時に坂野家が出すことを約束した金額は、「大神楽」執行に必要な資金の約半分に相当するものであり、残りの半分は地域全体(一〇〇人以上)で分担された。坂野家にとって「八鳥名本山三宝荒神」を祀る「大神楽」を主催することは、多大なる出費と労力を必要とする大仕事であるが、地域社会内での大きな特権・名誉をもたらすものであったことが伺われる。
 こうした慣わしが残されていたことを、八鳥地区内京組の矢吹伊幸さんは、以下のように語ってくれた。昔の神楽じゃ大きい家の親分がようけお金を出してくれて神楽をやったもんじゃ。今回の神楽は、出来るだけ平等にしよういうことで、酒を飲ません、接待もせんというようになったが、昔は全部当屋さんがもってくれて、普段小作でこき使われてるもんは、ようけ飲み食いしたもんよ。その代わり普段は言う事をきかんといかん。(矢吹伊幸さん・内京・昭和七年生まれ・平成二七年一月二五日調査)
 このように、当屋を務める集落内の大きな家が多大な費用を負担し、自らの家を当屋(祭場)として「大神楽」が奉納されていた。「大神楽」の場は、村落内の社会関係の再確認をする場であり、富の再分配の場でもあったことがわかる。

 昔は地主が費用の大半を負担していたので,それは「地主-小作」という身分関係の再生産になってはいたが,地主が大半をだしてくれたから贅沢もできたし小作の負担が少なかったというのは分かる気がしました。
 しかし現状はそれにとどまらず,以下のような状況になっているのが面白いというか「現代的」だなあと思いました。

 最後に、本稿で扱いきれなかった課題を挙げておく。「大神楽」に関わる家々の間で平等化が進むということは、逆に考えれば、従来負担が少なかった家にとっては、負担増になる。そうした人々は、どういう理由で負担の増大を受け入れたのだろうか。社会変動と荒神神楽の変容を問題としながらも、本稿では、上記の疑問には答えられなかった。

【合同】・【合祀】・【再編】を繰り返し,合理化されていく祭はまた「おらが町の祭」というアイデンティティの機能を失っていくことでもあり,そのような「公的で漂白された」祭に対して担うための負担増を受け入れる心理というのはすごく興味があります。
 
 二月なのでバレンタインで例えると,この状況は「あげた金額よりも高いお返しをもらえるからあげていた上司へのバレンタインチョコが,“ハラスメントいけない”ということで職員全体で会費を集めて上司以外の同僚にも送らなければならなくなった一方,上司からの高額なおかえしはなくなってしまった。」状況なわけであり,その類推で考えると「継続のために合理化され公的化された祭が多数決であっさり廃止が決められる」可能性もあって怖いなあなどと思ったりもしました。
 
 ま,でも最後に全くの余談ですが,広島で平田家というと私は漫画家のTONOさんを思い出すのですがこの論文中にでてきた平田家は関係ないのかなあなどと。私の中での漫画BEST10に入るチキタ☆GUGUをぜひ読んでほしいなあと。

 
 


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