祭が継続するために時代にそくして変容していくことに関する論文は多く存在すると思います。今回読んでいた論文は基本的には「合理化」のプロセスを丁寧に追った論文だと思うのですが,最後にどんでん返しというか「合理化を進めるとそういうことにもなるのか!」という気づきを与えてくれるものでした。
鈴木昂太 2017 民俗芸能の継承と伝承組織の変容 ―比婆荒神神楽を支える「名」に注目して―. 総研大文化科学研究, 13, 1 – 27.
論文の内容は要約が非常によくまとまっていてわかりやすいのでまずはそれを引用させていただきます。
私が興味を持ったのが,要約の最後の「その一方、平等化を推し進めた結果、かつて「大神楽」が持っていた村落内身分の再生産、富の再分配の場という機能は、失われることとなった。」の箇所でした。村落内身分の再生産や富の再分配の場の機能の喪失とはどういうことなのだろうかと思って読み進めると以下の引用の部分に具体的かつ分かりやすく説明されていました。
昔は地主が費用の大半を負担していたので,それは「地主-小作」という身分関係の再生産になってはいたが,地主が大半をだしてくれたから贅沢もできたし小作の負担が少なかったというのは分かる気がしました。
しかし現状はそれにとどまらず,以下のような状況になっているのが面白いというか「現代的」だなあと思いました。
【合同】・【合祀】・【再編】を繰り返し,合理化されていく祭はまた「おらが町の祭」というアイデンティティの機能を失っていくことでもあり,そのような「公的で漂白された」祭に対して担うための負担増を受け入れる心理というのはすごく興味があります。
二月なのでバレンタインで例えると,この状況は「あげた金額よりも高いお返しをもらえるからあげていた上司へのバレンタインチョコが,“ハラスメントいけない”ということで職員全体で会費を集めて上司以外の同僚にも送らなければならなくなった一方,上司からの高額なおかえしはなくなってしまった。」状況なわけであり,その類推で考えると「継続のために合理化され公的化された祭が多数決であっさり廃止が決められる」可能性もあって怖いなあなどと思ったりもしました。
ま,でも最後に全くの余談ですが,広島で平田家というと私は漫画家のTONOさんを思い出すのですがこの論文中にでてきた平田家は関係ないのかなあなどと。私の中での漫画BEST10に入るチキタ☆GUGUをぜひ読んでほしいなあと。