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20241012 メタ分析の著作権
敬愛するつよつよ心理学者の某先生がTwitter(現X)で,「年寄りがわかりもしない最新の話題にのろうとして外すよりも昔話をした方がましかも」とつぶやいておられて確かにそうだよなあと思いますが,もう恥も外聞もないくらい年老いたので,外して当然!という姿勢で書いていくことにします。
私はメタ分析をしたことがないのでその難しさはわかっていないのですが,おそらくあと5年や10年もするとすごく簡単に,それこそボタンぽん,ここをクリックという感じでささっとできるパッケージが開発されるだろうなあと思っています。
今はいろいろ対象となる研究を集めたり,それが条件に合致するかを見極めたり,それを統計処理に載せられるように整理するなどで手間がかかったり正確な知識と分析手法をみにつけていることが必要だったりすると思うので,メタ分析を行って得られた知識の著作権はメタ分析を行った著者のものに属していると思います。
でも,それってこれまでメタ分析の対象となった研究をしてきた人たちにとっては,「私たちが研究してきたからこそメタ分析できるようになったのに,最後にまとめた人だけが業績を独占するのはいかがなものか。」と思ったりしないのですかね。
最近は生成系AIで特にイラストなどの分野で「自分の絵を学習させたくない」という動きがよく出ているような気がしますが,メタ分析に関しても同じようなことを思う人はいるのではないかなあと。
今でも論文に関しては引用されることが増えるとそれにより被引用数が増えるので評価があがるというシステムがあり,それはいい指標だと思います。それと同じように,メタ分析に関しても「被メタ分析数」という指標を考えればいいのか…でも正直あまり価値のある指標にはならないか…。
それよりかはむしろ「メタ分析の知見の著作権はその対象となった研究の著者全員で分け合う」ことにして「より古い時期の研究の著者が傾斜配分でより多くもらえる」なんて感じにすればいいのではと。
ある影響力の強い論文が出版され,それに影響されて大枠はそれに基づいて新たな要因を少し足して検討するという追試的な研究が雨後の筍のようにいっぱい出てくるというのは結構あると思います。この場合,そうした影響力の強い論文が出る前からメタ分析の対象となる関係を研究してきた人からすると,影響力の強い論文が出てきた後に検討しだした人と同じ扱いをうけるというのは残念に思わないのかなあと。しかも,新しい論文ほど「最新の検討によると…」などという引用をされることでメリットを得られることが多いと,「年寄りの研究にもやさしくしてよ」と思ってしまいそうです。
「オリジナリティ」や「先見性」の視点でいうと,メタ分析が可能となるほど似たような検討をした研究が多い分野において,影響力が強い論文や新しい研究がメリットを得るのは何か違うのではと思います。
特に,その影響力の強い論文が出版される前にそれと同じことを検討している論文がある場合は,オリジナリティや先見性の面では結構高いものを持っているのに対し,後の影響力の強い論文ばかりが引用されることでその研究の被引用数は伸びなくなり陰にうもれることは多いだろうなあと。これ,影響力が強い論文でその前の研究を引用していても,その後の研究者が影響力の強い論文ばかりを引用すると意味がないのですよね。
先日考えてみた「共同研究のオーサーシップ」に関していえば,それぞれの役割が異なるので問題はかなり複雑ですが,メタ分析に関しては「関心が同じだからこそまとめて対象となっている」わけでしょうから,古い方を優先してくれと思うのは年寄りの我田引水の思いでしょうか。
まあ実際のところは,本当にボタンぽんでできるようになると,「メタ分析を行った」だけでは論文になることはなくなり,問題と目的のところに「~パッケージを用いてメタ分析を行った結果,XとYには中程度の相関がみられることが確認できる」と書かれるようになるだけだろうので,著作権を考える必要もなくなると思いますが。
まあでもそのような状況になると「先行研究のまとめ」の個所がかなり劇的に変化し,ある具体的な研究を引用することが減ることによる引用全体の変化や被引用数の解釈の変化などが起きると思うので問題はさらにカオスになるとも思いますが。