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クラリネットをたずさえ、数えきれぬほどのステージに立ってきた彼は、老いを迎えてもなお
日常生活の中で、こんなにも息をひそめ、じっと誰かを見つめることがあるだろうか。
手を伸ばせば届いてしまいそうな舞台の上で、白髪の老人はかすかに手が震えていた。
老人、と書くのも気が咎めるのだが、彼ははっきりと誰が見ても老人といわれる出で立ちになってしまっていた。私の、いや、私たちの知らないうちに。
リチャード・ストルツマン。
クラリネット界のレジェンドと言われる彼は、今回の来日公演でも渋谷Bunkamuraオーチャードホールをほとんど満席にした。
日本フィルハーモニー交響楽団との共演。
「コンチェルト×コンチェルト!!」と題されたそのコンサートは、その名の通り、コンチェルトを2曲も披露するという欲張りな企画だ。
コンチェルトというのは協奏曲のことで、オーケストラをしたがえ、独奏者が主となるメロディを演奏する。
世の中にある曲の中でいちばんうつくしく、人々を魅了してやまない(たぶんクラリネット吹きからの異論はないだろう)モーツァルト作曲のクラリネット協奏曲。
そしてアメリカの作曲家コープランドが作曲したクラリネット協奏曲。ジャズクラリネット奏者であるベニー・グッドマンのために書かれたこの曲は、ジャズの語法を多く用いている。
ストルツマンはクラシック音楽のアルバムで二度もグラミー賞を受賞したほか、チック・コリアやキース・ジャレットなどジャズ界の錚々たるミュージシャンと共演、レコーディングワークを残している。ジャズクラリネット奏者としても才能を発揮しているのだ。
そういう面で、今回の2曲の協奏曲はストルツマンらしさを堪能できるプログラミングになっている。
加えて、オープニングにはモーツァルト作曲、オペラ フィガロの結婚より「序曲」で華やかに幕を開けた。
先ほど述べたコンチェルト二曲をはさみ、「シンフォニックダンス」。今年生誕100周年を迎えるレナード・バーンスタインの大きな功績のひとつである、ミュージカル「ウエストサイドストーリー」の楽曲を集め、演奏会用の組曲として編曲したものだ。
私は、クラリネットを好きになってから、大学に進んでもっと勉強したいと思うようになってから、たくさんのCDを聴き漁った。
もう10年近く前になってしまうのか。たしか、YouTubeはあった気がするけれども、そこにあがる動画自体はまだ少なく、今のようにアーティストのオフィシャルチャンネルもなかった。iTunesやSpotifyなどもってのほかだ。
タワーレコードに足しげく通い、1000円や1500円で売っている、紙のジャケットに入っているようなうすいクラシックの輸入盤を、まだ高校生だった私は、お小遣いを少しずつ切り崩し買い漁った。
そんな宝物の向こう側にいたクラリネット奏者のうちの一人が、ストルツマンだった。
クラリネット奏者にしては(特にクラシックを演奏する場合においては)めずらしく、豊かなビブラートをかける人だった。その音楽にとって必要だからだ。本質を捉えていた。
彼の音はなめらかで豊か。ときおり楽しそうに飛び跳ねる。
音楽の進むべき方向を捉える力が長けている人だと、思う。
坂道を降りていくのだとしたら、前のめりにつんのめってしまうのではなく、その重力を利用し、するりと、軽やかに足を運ぶのが上手だ。
2018年、6月2日(土)のホールで見たストルツマンは76歳で、私が聴いていたCDの中の彼よりはるかに年を取ってしまっていた。
明らかに指と舌が衰え、正直、こちらが心配してしまうほどおぼつかない箇所は何度もあった。
だが、彼の中にたしかにある「音楽」はありありと伝わってくる。
特に、コープランドの協奏曲では彼自身がそのいきいきとしたメロディを楽しみ、かつ音楽の本質を捉えた演奏だった。
曲の前半、息の長いフレーズが続く。水を手の甲で押していくような、抵抗感、その中にたしかな推進力を持って。一点に向かって細く差す光のような、小さな音。
私は息をひそめ、じっと見つめていた。目が離せなかった。
指揮者の田中祐子さん、日本フィルハーモニー交響楽団は、敬愛を持って彼の音楽をすくいあげ、寄り添った。糸を撚(よ)るさまが見えるようだった。
2曲のコンチェルトを吹き終え、何度もカーテンコールを受けた彼がアンコールとして演奏したのは「アメイジング・グレイス」。
ほんとうに、音楽の恵み(グレイス)のようだった。
その老人の手から震えは消え、のびやかなビブラートがかかった音を客席の上から降らせた。
・・・・・
日本フィルハーモニー交響楽団
特別演奏会「コンチェルト×コンチェルト!!Vol.1」
2018年6月2日(土)14時開演
指揮:田中祐子
クラリネット:リチャード・ストルツマン
※彼は今回の来日で、残り4公演を各地で控えている。→スケジュール
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