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【お金について①】 お金とは、花を咲かせるエネルギーと同じもの。


私は今、ズタボロだ。
今私は週5で働いている。多分5年ぶりくらいに。

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これは私がお金というものの概念を再構築していくその記録。

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なんで私が働いてるのか。
哲学と精神の旅から帰り、その旅の中でたくさんの精神的な覚醒があり、宇宙の中で命を持って生まれているという大いなる自由を知った時に、今まで肯定的に捉えられなかった何かに属して働くことを赦して認められるようになり、自分が決めたことならば何したっていいという気づきに至ったからだった。

ただ私には、日本に帰ったらすぐ南に移住したいというインスピレーションが旅中ずっと浮かんでいた。
でも土壇場になって、旅で使い果たしたお金と、生活の不安定への不安感が勝ち、少しの間働いて状況を整えてから動き出そうという結論に至った。

今思えば完全に”思考”に手綱を渡して決断した。

ちなみに私は直感100と思考0で人生を生きないとうまくいかない人類タイプガチャを引いたのだと30年近く生きて確信している。思考で下した判断がうまくいくわけがなかった。

半年間のアメリカ大陸の縦断の旅の中で、2週間ごとにいる場所を変えていたこともあり、
移動生活とその不安定さの反動から、一か所にとどまりたい、という欲求が生まれていたこともあり、


自分を大切にするために、この不安を取り除くこと、経済的な余裕を持って自分を安心させてあげること、がその時の自分への安心感という愛だと思って優先順位を考えて思考で選択したけれど

それは結局、思考でお金という名前の成果を求めていただけであって、自分の心が求めていることではなかったのだ。
散々散々、旅の中で私は、ただ心の羅針盤を信じること、それを選んできたじゃないか。なのにお金というものに対してはどうしてもその意思決定の判断が揺らぎ、それどころか判断ができなかった。それほどお金というものが持つ強い刷り込みが私の中に存在していた。

私は根っからの自由を愛するスピリットを持って生まれていることもあり、働き詰めの生活に、生きている意味を失ったかのような無価値観、喪失感、不安感や焦燥感に襲われるようになった。
今私は自分の心の声に沿っていない、自由ではない、という強烈なフラストレーションが溜まり、その発散を買い物にぶつけるようになった。

ストレスと喪失感を埋めるために買い物をしてるとわかっていながらも、逃げ道としてある程度はこの行動もしょうがないと許容しながらも、ボロボロとお金が流れ落ちていくような感覚によりまた焦り、そのストレスの追いかけっこになる。

あの飛躍した旅の後、私はなんとも人間的な煩悩のサイクルへと逆戻りしたのだった。笑
この緩急の差もまた人間らしくてある意味愛おしい。

そんなことがきっかけになり、最近までお金ってものについてすごく考えていた。
お金って私にとっていったいなんなのか?

考える中でまだクリアに結論は全く出ていないのだけど、この自分の葛藤から少しずつ全体像が掴めてきた気もしている。だから今の時点での私の捉えているものを書こうと思う。



それは、お金は使う人の教養(許容)によって「ある一定の成果を指し示す単位」にもなりうるし、お金は「無条件の愛の流れ」にもなりうる。ということだ。

お金は愛だ、なんてありふれたような綺麗事で表層的に聞こえる言葉。
私はその言葉を頭でそれを解釈しようとしていてでもずっと腑に落ちていなかった言葉だけれど、最近になってわかったことがある。

お金は本当に愛だ。
ただしその設定を、私が採用するのなら。

旅へのクラウドファンディングをしていた時、私にとってお金は完全に「愛」だった。
それはあなたを応援してる、という温かい言葉と笑顔といつも一緒に送られてきたからだった。わかりやすく他者から私への純粋な気持ちがお金として見える形で流れてきていたから。
私にとって初めてのお金の概念を揺さぶられる経験だった。
お金に本当の意味で興味を持ち出したのはそれがきっかけだった。
この出来事は本当に夢のような経験で、本当に本当に感謝してる!!
私にお金とあたたかい気持ちを送ってくれた全ての人に本当にありがとう。

ただその経験は単発的で、お祭りのような特別な経験として自分の中で位置づいていて、それが長年刷り込まれた私のお金における概念を完全に塗り替えるものにはならずに、私は今の現状を作り出してしまった。

でも、今思えばこの時、私はお金の本質を体験していた。
愛がお金に具体化し、それを受け取って、私は自分の心に沿った私が私を生きる道へとそのお金(愛)を流していたから。

なぜそう言えるのか?それはこの先を読んでから。


ところで最近寝る間際に、ふっとビジョンが見えて、そこからメッセージを受け取ることがある。インスピレーションともいう。
私はよくすごく深い瞑想状態になった時にこういうイメージが降りてくることが多い。
目で見るのではなく、ふっと頭に投影される。想像する、とはまた別で、ふっと映るっていう感じ。それは動くし、色もあるし、でも夢ではない。

そのビジョンは昨日も私の元を訪れた。

地中で丸くなる女性と、小さな花の種のビジョン。
黄金の光の源から女性とタネに、ちょうど「へその緒」のようなものによって光り輝く生命エネルギーが流れている様子。
そしてその光り輝く生命エネルギーを受け取ってタネは成長し花を咲かせていた。そんなビジョンだった。

(「エネルギー」って言葉に「?」って思う方もいるかもしれないので私の解釈を添えておくと、風や火、太陽光、電気などがエネルギーとして呼ばれるように、目には見えないが確かに流れているものを私はエネルギーと呼んでいる。)

このビジョンで見えた黄金の光とは「全ての源たるもの」だとわかった。
多分それは全てを作った存在。
神とか、宇宙だとか、命そのものだとか、言葉にすると多分そんなもの。

私たちはなぜ生きているのだろう?意識せずとも呼吸をし、体の細胞は勝手に私の体と動かしてくれる。素粒子が何だかんだ~とかいうけれど、その元を辿ると、何に辿り着くのだろう?

私の見たビジョンの世界でのその答えは「黄金の光から流れるエネルギー」としてメタファーで描かれていた。
そしてその光を受け取ったタネは成長し花を咲かせた。それは全ての生きとし生ける存在に全てに流れているもの。生きているものは例外なく平等にそれを受け取っている。だからこれを読むあなたの心臓が今も脈打っている。

へその緒で繋がれて流れている光。
それは命を繋ぐ、反映させる、拡大させる、生きるためのエネルギー。
そしてそれは世界から私たちに与えられた、命。生かされる、be、という世界からの「愛」そのものなのだと思う。

そしてその生命エネルギーはもうひとつ言葉に言い換えるとしたら、「豊かさ」と言えると私は思う。
そしてまた豊かさとは、私たちの生きる物理の世界では「お金」とも置き換えられる意味を持つのだ。

"私たちを生かすエネルギー、それはまたお金と同じものである。"


だとしたら、そう仮定したら、私たちはそれを、受け取れているのだろうか?
うまく自分の中を通し、植物たちのように花を咲かせるような糧として受け取り流せているのだろうか?
純粋な私たちに流れてくる恵みを、斜に構えた目で勝手にジャッジしたり、不当な扱いをしていないだろうか?
愛を持って、愛を受け取っているのだろうか?


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もうひとつ、見えたビジョンがある。これはまた別の日、お風呂に入っている時に急に降りてきた。

スロットがぐるぐる回り、ガシャン、とランダムな数字が映し出されるビジョン。
そこから私が受け取ったメッセージは「エネルギーに数字を当てはめただけのものがお金」だということ。


人から人へ流れているものに、勝手に人間が「数字という記号」を当てたものがお金だということ。
人はお金だけ特別視する世界線から抜けられずにいるけれど、お金も、風や電気や光と変わらない、一つのエネルギーの具現化なのだ。
そこに高いとか安いとかいう価値観は完全な人間社会の後付けと刷り込みで、そんな強力な共通概念の中私たちは暮らしているってこと。

この言葉をこの言葉通りにニュートラルに受け取って理解してくれる人ってほぼいないんじゃないかなって思うくらいにお金というもの私たちへの刷り込みはすごい。生まれた時から刷り込まれている。
(ここでは私が優れてるって言いたいわけではなくて、それだけお金ってものがこの世界で持つ意味合いが多様で根深く、人によってとても強くネガティブに働くものでもある、取り扱うのにとても慎重になってしまうようなコンテンツとして人々の集合意識に存在しているからだ。
私もこの自分の中のアハ体験でひっくり返るまで他のコンテンツと違って刷り込みから逃れ今までの価値観をぶっ壊すのに本当に本当に苦労したし、今もなおそこから抜け出せてるとは言えない。)

さらにいうと、その世界線でお金を捉えると、お金を用いた取引というのは記号と記号を合わせるゲームのようなものにすぎず、高いとか安いとかそういう概念はない。提示されたランダムな記号に形の合う記号をパズルのように自分が持ち合わせていれば交換可能、取引成立。
ただそれだけ。

読んでくれたみんなそろそろ脳がバグってきた???
わかる!!理解できないよね!!笑


もしそう捉えたとして、その捉え方で生きていこうとしても、社会の共通意識がそうではないので、必然的に高い安いの概念は取り払うことはできないと思うし、その感覚がなかったら現実的に破産すると思う。
今の時代を人間として生きるためには持ち合わせるべき危機管理能力だから捨て去ろうにもそうはできないので、私は折り合いをつけてうまくやれるように意識の訓練したいなあと思う。


話をまとめると、「お金」は損得勘定で動かすべきものでも汚いものでも怖いものでもない。

植物や私たちがすでに存在し生きている。
🟰それはそこに生命エネルギーが流れているから。そう仮定すると、
純粋に私たちへ流れる、豊かさのエネルギー、生命力の具体化、お金もそのひとつの種類であるということ。そこに差分はない。
世界からの愛だということ。
そして後から数字という記号を私たちが当てはめてみただけ。

この仮説に沿ったお金の流れの体験を、当時私はクラファンを通して知らず知らずにみんなからさせてもらえていた。
なんて豊かなんだろう。
私が理解する前から、その体験は私の中に優しく存在していた。

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私が「お金を成果」として見て、全くの見当違いな概念をお金に投影しことがきっかけとなり、生きてる意味がわからなほどの暗黒の心の状態に陥る。
そこでストレスフルな生活の中、今のままのお金の捉え方は私の中では本質ではないという解に至った。
そしてお金に真剣に向き合おうと意識し出した結果、そのヒントはビジョンとして私のもとに訪れ、私はお金を「愛や豊かさ」としてニュートラルに見る実験を始めた。
その結果、お金は何かの成果や結果として求めるものではなく、お金の本質のエネルギーを澄んだ目で見た時に、私たちが意識する前からもうすでに私たちの中にあるもの、と理解した。
と、今はこんな理解にいる。

この記事ではお金を取り上げているけれど、
でも全て物事、事象に平等に共通して言えるのは、逆算せず思考で決めず社会ではなく自分の内側に焦点を合わせ

いつもここから、ハートで受け取り、自分で決めていくことが大事ってこと。

そこに現実的な不安があっても、ハートが選んだ道はいつも固く守られている。それは自分の魂に沿った道だから。全てのものが追い風になる。

これは私が旅の中で実際に経験し確信した真実だ。


そんな大きな気づきを得てこのストレスフル生活は良かったこととしたい。


そしてここに誓う!
もう二度と!もう二度と自分を犠牲にしてお金の成果を得るような検討はずれのロジックを私は私の人生に採用しないよ!!!!!


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