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20 高齢者と暮らす、ということ

さいわいな事に、現在ともに暮らしている87歳の義母は元気である。奄美へ越して来て13年の間に、介護していた義父を看取り、義母の老いと共に暮らして来た。
 
パーキンソンと若干の認知症を抱えていた義父の介護生活では、担当のケアマネージャーさんが適切にレスパイト入院を設定してくださったお陰で、こちらが疲弊してしまわずに済んだ。実に家庭での介護生活は「される側」はもちろんだが、「する側」の心と体力の問題も大きいのである。それに関わる悲しい事件も多い。
 
義父のベッドに呼び出しボタンを設置したら、1日中鳴らし続けられて翌日にはボタンを撤収した。命に関わることならともかく、軽度の介護は、される側の依存心との闘いでもある。
 
繰り返すが87歳になる義母は元気で、晴れていれば畑仕事をし、ひとりでバスに乗って病院へも行く。私は自宅でパソコンを相手に仕事をしているので、時間があれば車で病院へ送って行くこともある。しかしこれにも微妙なラインがあるようで、こちらがあまり優しさを見せ過ぎてしまうと、元気なはずの義母にも依存心が発動してしまう。少し待てばバスが来るものを、いちいち電話が掛かって来て迎えに来て欲しいと言うようになってしまう。要求にすべて応えようとすると、こちらの仕事がままならない。事情を知らない人は「迎えに行ってあげればいいじゃない」と言うかも知れないが、依存心の拡大は自立心の縮小と緊密に連動している。自立心の衰えはすべての衰えの入り口なのだ。本当に大変な時はいつでも助ける。それまでは、せめて元気でいて欲しいと思うのだ。

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