暮れ活における「整理整頓」
世の中の大きな変化は膠着状態になったようにも見え、知らないところで蠢動(しゅんどう)しているようにも思われ、しょうもないオッサン「松岡マサヒロ」の人生における「暮れ活」は、かつてない程の混乱に陥り、参議院選挙の選挙公報や政見放送を見ては、更に「途方に暮れた感」に包まれております。
前回の記事では
「まずは、身の周りを整理整頓するところから始めてみます。」
と書き終えました。
今日はその続きを書いてみます。
オッサン暮らしの「整理整頓」の話です。
きっかけは次男の独立
私には2人の子供(共に男の子)がおりまして、5歳と2歳のころから「父1人子2人状態」で暮らしていました。
2015年に長男が高校卒業後に就職、翌2016年に独り暮らしを始めました。
そして2017年に次男も高校卒業後に就職、こちらは最近まで同居していましたが、2022年5月に一人暮らしを始めました。
この時点で、終了とまではいかないまでも、大きな節目を刻んだことにはなるのかなと思っています。
それが引き金になって、もう1つの大きな節目を刻むことになりました。
私の再婚です。
長らく交際を続けていた一般女性と入籍しました。
3週間ほど前の出来事です。
そして、それまで親子3人で暮らしていたUR住宅を解約して、妻となる女性と共に暮らし始めることにしました。
オッサン暮らしの「整理整頓」は、自ら行うものとは限りません。
何かの歯車が1つ動き始める、動きが変わることで関連づいている他のモノゴトが動き出すというのは、あるあるですね。
でもこれは、よく起こることではなく、当たり前のことなんです。
ヒトとヒトとの関係、生き物と生き物の関係においては、当たり前なんです。
風が吹けば桶屋が儲かる、みたいなことが。
モノを整理整頓する前に、考え方の整理整頓を
暮らしの環境を変える(私の場合は変わるでしたが)ことは、自身の考え方を違う視点から見るきっかけになります。
新たに始まる再婚生活をどうやって愉んでいこうか?
子供たちとどう関わっていこうか?
っていうか、子供たちに何が出来るのだろう?
考えているうちに、ある本に書かれていた言葉を思い出しました。
中島岳志さんの著書「自分ごとの政治学」(NHK出版)です。
その言葉とは、
「先祖になる」
です。
子供たちが1人前になったなら、あとはご先祖さまになるのが仕事だっていうのです。
田舎のバアちゃん家の居間の壁の上あたりに飾ってあるバアちゃんの母ちゃんや父ちゃんジイちゃんの写真みたいなアレです。
悪いことして怒られるときの
「隠れて悪いことしているつもりでも、ひいジイちゃんがキチンと見てるからお見通しやっ!」
という、あの決まり文句です。
もう世代的、地域的に分からない人も多いかもしれませんけどね。
オッサンは「居間の写真」になるために、より良く暮らしていかなければならないと合点がいったのでした。
人生の終盤は、先祖になるために暮らす。
文明のおかげでその時間が長くなったため、昔と違ったスタイルで暮らしを切り拓かなければならなくなった。だから人生の「暮れ活」なんて言葉が、突然自分に降りて来たんだやな~っと。
転居に伴う、免許・税務署・銀行 etc 巡りを終えて、新居に運んできたモノを目の前にして、熱さと疲れで変質しそうな身体とココロですけど、考え方を整理整頓できたので、だいぶ落ち着きました。
この数か月で乱読したその他の本にも助けられて、今月から仕切り直すことが出来ました。
そんな本たちが私の手元にあるまでに、その本に関わった皆々さまに深くお礼申し上げます。