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平凡に生きることの凄さと、それを選べなかった自分。

松永です。大連は冷えてきました。最近のイノベーターたちが執筆する生き方に関する本を読んでいると、新しいことにどんどん挑戦していけ、空気なんて読むな、人と違うことをしろ!ってな感じの内容が多いですね。

以前の記事で挑戦についても熱く語らせて頂きましたが、一方で平凡な生き方も十分に尊敬に値すると言う話をしたいと思います。私には何も特別なところが無いと悩んでいる人に出会ったことがあるのですが、特別じゃないこと自体が、すげえよ!!って思います。地道に生きている人がいなくなって突拍子も無いチャレンジャーばかりになれば、社会は崩壊してしまいます。

そんな私も20代前半の頃は平凡が大嫌いでした。中国に留学したのも、平凡な人生を飛び出したかったから。一緒に留学した友人たちが帰国後、地元の銀行や公務員に就職するのが信じられなかったものです。どうしてもっと面白い仕事をしないのかと疑問に思ったものです。

ところが10年近く経ち、彼女らが子どもを産んだり家を買ったりして着々と人生のステップを踏み進めているのを知ると、かっこいいなと思い始めました。毎日の積み重ねを継続して、安定した環境を築くのも選択肢だったのだなと思いました。そうしてこういう人達が世界から愛される日本を支えてきたのだと。波乱万丈な人生も面白いけれど、先が見えない不安は付きまといます。コロナで日本に簡単に帰国できなくなったことで改めて考えるきっかけになりました。

そもそも平凡とは簡単なことではありません。働くことが難しい人もいます。生きるだけでさえヒィヒィ言いながら、どうにか命を繋いでいる私のような人間もいます。平凡に生きられるというのはそれ自体がとても素晴らしいことです。そういう人たちが、社会に必要なサービスを提供してくれているから、面白い仕事をやりたい人が好きなことをできるんですね。

そして毎日働く、ということ自体がすごいことだと思うのです。私は疲れに弱く、3ヶ月に1回くらいのペースで体調を崩します。しばらく仕事を頑張ると、とたんに仕事が全く出来ない状態になり、調整が必要になります。休みの取れない仕事をしている人はすごいなぁと思います。与えられた仕事を休みなくこなしているだけで、本当に素晴らしい。

イノベーターたちの言うことも、一理あると思います。社会の変化の速度が上がり、これまでのルールが通用しない時代になってきています。だとしても一人の人間が誰かの価値観を否定するなんて許されない。レールを飛び出した人と、そうでない人。それぞれが自分の価値観を大切にしながら、お互いを尊敬して共存していける世の中になればいいなと思う今日この頃です。

平凡な安定という選択肢をかなぐり捨てて来てしまった私ですが、迷いがない訳ではありません。けれども自分が選んだ道に後悔はしていません。特別でなくても、自分の生き方に納得していれば何をしていてもその人の人生は輝きます。焦らずに自分の道を歩んでいきたいと思います。



サポートとても励みになります。自分の言葉で生きていけるように、試行錯誤しながら頑張ります。