一脳神経内科医が2022年におすすめしたい本 3冊
一脳神経内科が2021年に50冊程度本を読んで、そのなかで皆様におすすめした3冊を勝手に記載したものです。
こんにちは、脳神経内科医の松本です。
2021年は通勤や実験の合間を縫って、50冊程度本を読みました。いまいち慣れないものの、特に気のむくまま、最近の本ではなく古典も読むようになりました。古典を読んで思うのは、近年の本は古典をより発展させたものであり、古典にこそ源流があるということ。そして、一見役立たなそうでも、実際は古典の方が遥かに応用が効く、ということです。
また、古典は知的好奇心を大いに刺激してくれて人生をより豊かにしてくれます。最近、教養とは人生なのだという思想にようやく至れるようになりました。私は医師なので、医療系に読書がどうしても偏ってしまうのですが、その中でもあまり医療に関係ないものをピックしたいと思います。
さて、まずは第3位からご紹介。
じゃじゃん。
ウィトゲンシュタインの論理哲学論考です。哲学とは何たるかという最終的な解明をした本だとウィトゲンシュタイン自身は考えており、哲学とは科学ではない。思考の明晰化であり活動であると述べています。
自分の目に自分が映らないように、思考する本質な自己というものは確認できないものだと述べています。したがって、自らを超えた倫理や神秘といったことも哲学では語り得ず、沈黙を守らなければならないと述べています。
語り得ないことには沈黙しなくてはならない。
個人的には哲学と科学は、分けることはできず、陰と陽のように互いに密接に絡みつくものだと思っています。ウィトゲンシュタインは哲学の最終的な問題を解決するということを志し、このような命題から最終的な結論を見事に導いていますが、自分としては哲学と科学はもっと密接な関係なのではないかと考えています。
いずれにしろ
哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。
という哲学の定義は美しく、素晴らしい文章だと思います。
第2位
あえて、古典ではなくこの本を推したいと思います。
米国の経営学者であり、実業家であるクレイトン・クリステンセン教授が破壊的イノベーションがどのように生じるのか、また既存の企業がなぜそれに対応できないかを豊富な事例(ディスクドライブ、鉄鋼業におけるミニミル等)を通して解説しています。
ついつい後から見た我々は、なぜ経営者は画期的な技術に見向きもせず、みすみす経営状態を悪化させてしまったのか?と思ってしまい、経営者の責任を追求するような記事を読んだりしがちですが、クレイトン・クリステンセン教授は、中心となる主要な顧客に熱心で真摯であるほど、破壊的イノベーションに対応できないと説きます。
破壊的イノベーションがほぼ必ずといっていいほど、中心ではなく周辺から起こるので、中心の顧客に対応していればいるほど、その周辺技術は中心の顧客が欲するものでないがゆえ最初は見向きもされない。そしてその周辺技術が、中心の顧客のNeedsに叶う水準には達した時には、時すでに遅く、既存企業はなすすべもなく敗れ去るということです。
ネットフリックスは最初、他のDVDやCDのレンタル会社から見向きもされない企業で、当初は月額15ドルのレンタルし放題という革新的なDVDレンタル会社としてスタートし、次第に事業を拡大しあっという間に多くのレンタル会社を駆逐したことは皆さんご存知の通りかと思います。1997年に創業してから3年後の2000年には、大手DVDレンタル会社であるブロックバスターに5000万ドルでの買収の提案をネットフリックス側からするわけですが、ブロックバスターは、吹けば飛ぶ存在と考えていたネットフリックスをお買い得とも思わず、買収案を拒否しました。
結果的に、2010年にブロックバスターは倒産することとなりました。
今回の新型コロナウイルスに対応した技術であるmRNAワクチンも、もとはガンの治療として期待された技術でした。mRNAワクチンがワクチン業界において、破壊的イノベーションであったことは疑いようがなく、既存のワクチンを製造する技術をもっていた会社の多くが対応できなかったわけです。E
イノベーションというものを、これほど我々が普段見ている形で簡潔に説明している本は他になく、その他イノベーションについては両利きの経営などの本もありますが、私としてはこちらの本がより優れた本だと思います。
第一位
2021年に読んだ本、いやこれまで読んだ本の中で最も素晴らしい本の一つといって過言ではないと思います。それくらい素晴らしい本でした。ソクラテスの対話篇はそのタイトルに、議論した相手の名前がつけられています。この本は、使用人を誤って殺害した父を告訴しにいくエウテュプロンと議論し、エウテュプロンを称えつつも、メタメタに論破していくソクラテスの姿を描いた「エウテュプロン」、かの有名なソクラテスの裁判を描いた「ソクラテスの弁明」、そして刑務所に入り死刑の執行を待つソクラテスを説得しに来たクリトーンとの問答である「クリトン」を収めた三部作となっています。
「ソクラテスの弁明」においては、無知の知へと到達し、ソクラテスほどの知恵者はいないとアポローン神に讃えられたソクラテスでありましたが、様々な政治家や有力者に議論をふっかけ、多くの人の前で無知であることを知らしめていました。おそらく、結果的に多くの有力者に恨みをかったのでしょう、メレトスなる若者に告訴され、民衆裁判が開かれることになりました。当時の裁判は二段階であったようで、まず有罪か無罪かを争い、それを聞いていた陪審員の多数決にて有罪と確定されれば、お互いが求刑をしあい、その求刑についても陪審員の多数決で決定されます。
まず有罪か無罪かという判決では、わずかに有罪が上回りました。お互いに求刑の段階で、メレトスはソクラテスに対して死刑を、ソクラテスは自分はいいことをしたのだから、オリンピアの大会の優勝者と同じく公会堂での食事が刑としてふさわしいと主張します。
陪審員を挑発したためか、今度は大差でメレトスが勝つこととなり、死刑となります。そして、ソクラテスは最後に自分に投票してくれた人を讃え裁判所を去るところで「ソクラテスの弁明」が終わります。
昨今、テレビでも、新型コロナウイルスに特に詳しくない方が自称専門家のように行動している様がよくみられます。無知の知の重要性を訴えたソクラテスが見たらどのように思うのか、興味深いですよね。
始末したい気に入らない正直者の人間がいれば、誰かをけしかけて、そこから炎上させる。古今東西変わらぬやり方も描かれてもいます。
おそらくプラトンにとっては、民衆の多数決によって、敬愛する師匠のソクラテスが死刑に処される場面は、耐え難いものだったのだと思うのですよね。また、法を執行する立場でもないのに自らを正義のように考え、突撃し炎上させ社会的に死に追いやる。プラトンが現代のTwitterを見た時どのように思うのかも興味深いです。
プラトンの書籍については様々な翻訳書が本邦でも出されていますが、たくさん読んだ中でも、朴 一功氏、西尾 浩二氏の訳は大変読みやすく、初学者にとって大変ありがたいものでした。名文中の名文であり、コロナ禍において読まれるべき本だと思います。
浅学非才であり誤り等がございましたら、ご指摘いただければ幸いです。お読み頂き誠にありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?