子供に伝えたいこと 1: 学ぶことの重要性



いつか死ぬだろうから、子供のためになにか残そうという思いが強くなっきた。


いつか死んだあとに、親父がこんなことを考えていたのだとわかってくれればいいな。

自分のWEBサイトを作ってそこにまとめるべきか。noteに書くべきかわからなかったんだけど、まずはnoteに書いてみることにした。

今日は何を書こうかな。

せっかくなので、自分の頭で考えろ!という言葉について考えてみようか。

お父さんが若い時、よく先生とか周りの大人たちに自分の頭で考えろって言われていたんだ。それでお父さんは何の疑いなく、自分の頭で考えることって大事なんだなって思っていた。そうして、根拠もなく自分の頭で考えられない人がいるなんて思ったりしてたんだ。

今思えば恥ずかしいね。

立派な業績を残している人と、いろいろ話してきてお父さんが感じたことは、むしろ頭のいい人ほど自分の頭で考えていないってことだ。人の助けを借りたり、歴史や過去の偉人の意見、様々な研究結果やデータを基に考えていて、自分の頭だけで考えているわけではないんだよね。

それこそ、自分の頭で考えろ!という人は、ひょっとするとそこで思考が止まっていて、自分の頭ですら満足に考えていない人なんじゃないのかなとも思う。そもそも、人が考える上で、「自分の頭」で考えるのは当たり前で、自分の頭以外で考えるなんてことができるわけないよね。

そうはいっても自分で考えることは重要だ。それは後に話す、自分で「仮説をたてて検証する」という人生において、最も重要なことのうちの一つにもつながってくることなんだけど、自分の頭だけで考えちゃうと間違ってしまうよということを話してみたい。

デカルトという17世紀を代表する大哲学者がいたんだ。哲学者というのは、「美しいものってなんだろう」「正義ってなんだろう」って、一見みんなが当たり前だと思っていることをあらためて見直して考える人達のことだね。彼はあらゆる学問を学び、そしてあらゆる学問を疑って考えた人で、デカルトの物事を疑う考えは、その後の科学の大きな発展につながったんだ。

ぜひ中学生か高校生になったら、デカルトの本を読んでみてほしい。方法序説って本だ。

その本の中でも、彼の学問への疑いは相当なもので、数学以外にしっかりとした学問なんてないって彼は結論づけたんだね。じゃあ、確かな存在ってなんだ?という疑問に、彼は物事を疑っている自分だけは確かな存在だなと見出し、我思う、故に我ありという言葉を残すんだね。

cogito, ergo sum

デカルト 方法序説

こんな彼でも1628年頃に、ハーヴェイというイギリスの医師が血液は循環しているという事実を明らかにした時、血液は熱機関(蒸気機関)によって循環しているという熱機関説をほとんど疑うことなく信じてしまっているんだね。君はまだ知らないかもしれないけど、心臓は足とかと同じように筋肉で規則正しく動いているんだ。

別に当時の科学の水準を考えれば、間違えてしまうことは仕方ない。
でもね、デカルトみたいに頭がいい人でも、そして物事を徹底的に疑って考えた人でも、自分で仮説をたてて検証する、あるいはそれを実施した人のデータとか、より詳しい人の意見とかを聞かないと疑うことすらできないってことだね。

君も小さい時に、夜中におばけがでないかと不安になったときに、お母さんとかお父さんに聞くじゃないか?おばけっている?って。そうやって人に聞いたり、調べたりすることがとても重要ということだね。

疑うことができないと、もうその人にとっては真実になってしまう。修正が効かなくなってしまうんだな。おばけはいるってことになる。

自分の頭で考えるってだけだと人は間違ってしまうということだね

古代の中国には孔子という立派な人がいて、その人は

学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し
思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し

孔子 論語

という言葉を残した。勉強しても十分に考えないと、よくわからないし、自分で考えるだけで勉強しないと間違ってしまうと言っているね。

17世紀にイギリスで引力を見つけたアイザック・ニュートンという人がいるんだけど、彼は学問において、自分がなしたことは過去の偉人がいたからだという意味をこめて

巨人の上の肩の上に立つ

という言葉を残した。それくらい過去の人たちが何をしたかを勉強することはとても重要だ。

自分の頭で考える前に、いろんな本を呼んだり、いろんな人と話したり、いろんなことに挑戦してほしい。少しずつ型ができれば、自分の頭で考えられるようになる。お父さんはそう思っている。

お父さんも、まだまだ勉強中だけど、こうやって勉強して君に少しでもいろんなことを伝えられたらいいな。

愛しているよ。


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