見出し画像

ウ〇チしない女たち~「便所」隠蔽の歴史(前篇)~

「便所」の呼び名についての女性の意識

「便所」のことを上品な女性たちはよく「お手洗い」と言います。「ちょっと、お手洗いに行ってきます」などと。

私は長く、魅力的な女性はウンチもオシッコもしないものと思っていました。そう、彼女らは「お手洗い」に、手を洗いに行くに過ぎない。手はきれいに保つのが尊いからと、そう信じていたのです。

また女性たちは「お化粧直しに行きます」とも言います。より素敵でいるために、身だしなみを整えに出かけて行くのだろうと思っていました。
 
しかし、誠実で正直な女性に深く聞いてみると、実際は「手を洗う」とか「化粧を直す」と言い逃れして、用便をごまかしていたというのです。男たちと違って、上品な女性たちは「あたし、お便所に行くわ」などとは言いません。日本では「便所に行く」ということは排便に行くのと同じ意味となり、それを恥ずかしい行為と考えてしまうからだと思います。
 
こうした言葉遣いの発想は、上品にものを言うことを好む日本人、とくに女性によって、長年つちかわれてきた美風だと思います。重要なポイントは次の2つにまとめられます。

①  女性が用便を婉曲的に表現しようとしてきたこと。
②  便所という設備を上品なイメージの言葉に言い換えてきたこと。

これらは日本に限らず、世界の潮流と言えるのかも知れません。

たとえばフランス語の「Toilette」(トワレ)は、もともとは化粧室・身だしなみを整える部屋の意味だったことは、さまざまな辞書が教えてくれるところです。

日本が戦後いちばん文化的影響を受けてきたアメリカでも、便所のことを「restroom」つまり休憩室と呼んだり、またイギリスなどでは「bathroom」つまりお風呂場と呼んで、ことをキレイに収めています。やはり排泄については知らないふりをするのです。

中国でも同様です。便所そのものを意味する「厠所」と呼ぶのは品がないとして、化粧室・洗面所を意味する「洗手间」などと上品に言うのです。それは韓国も同じで、男女ともに化粧室を指す言葉「ファジャンシル」を使っています。

特に女性が用便を婉曲的に表現しようとし、便所という設備を上品な言葉に言い換えてきたことは、グローバルな発想の産物と言うべきでしょう。
 
今回も日本に限っての調査ですが、方言分布図を通して「便所」の呼び方の推移を、見極めることにしましょう。

回答には古い言葉「カワヤ」もあれば、明治生まれの「お手洗い」や、欧米に影響されて生まれた「トイレ」などもありました。それら新旧語が併用される回答が少なくなく、言葉が複雑に錯綜していました。このままでは判読が不可能と思われたため、分布図を2枚に分けました。

①  近世以前に生まれた語。
②  明治以降に生まれた語。

この2枚の分布図です。

今回は「近世以前に生まれた語」の分布図を見ていきましょう。近世以前とは「徳川時代以前」のことです。

つまりまだ明治以降の「オテアライ」も「トイレ」も「ハバカリ」も「ゴフジョ―」も知らなかった時代です。「ベンジョ」と呼ぶ一帯も確実にありますが、圧倒的な地域で、ほかの名前で呼ばれていました。しかもそれは「多重周圏構造」をなしていました。見ていきましょう。

これが「近世以前に生まれた語」の分布図です。

「かわや」とは何か?

「近世以前に生まれた語」の「便所」方言分布図を判読すると、本土では最古の語「カワヤ」から「セッチン」「カンジョ」などを経て、最新語「チョーズ」に至るまで、多くの語が京都で盛衰を繰り返していたことが分かります。これらの語を順番に見ていきましょう。

「カワヤ」は平安時代にはすでに京都にありました。文献を見てみましょう。

*十巻本和名類聚抄〔934頃〕三
「厠 唐韻云〈胡困反字亦作溷〉厠也。釈名云厠〈音四 賀波夜〉或謂〈音清〉言至穢処常修治使潔清也」

このように西暦934年ごろに京で編まれた辞書に「賀波夜」(カハヤ)が便所の意味で出てきています。古い表現です。ではこの「カハヤ」とは、もともとどういうものだったのでしょう? 『日国』では、この言葉の起源についてこう記しています。

(母屋のそばに建てた側屋(かわや)の意、または、川に掛け渡して作った川屋の意からいうか)

つまり、語源説には、次の2説があるというのです。

①  母屋のそばに建てた側屋(かわや)。
②  川に掛け渡して作った川屋(かわや)。

というものです。

「カワ」とは「側」のことか、あるいは「川」なのか。さてどちらが正しいのでしょう?

私の思うに、②の「川に掛け渡して作った川屋」説はまずあり得ないと判断できます。東は東北の青森・岩手両県と、西は九州の長崎・熊本両県など、遠く隔たって広く分布しているさまから、この言葉は周圏分布しているものと判定できます。

言語地理学では、本土の方言は、だいたいは中世以降に京の都から発信されたものとみなされています。私も多くの全国方言分布図を作ってきた経験から、その考えは妥当だと思います。となると、中世以降にこの言葉を全国に向けて発信した京の人々は、川に突き出した小屋で用便していたと考えざるを得ません。 

京の町なかに中世には、富小路川、東洞院川、烏丸川、室町川、西洞院川、小川、堀川、などいくつもの川がありました。しかしながら10万から20万人もの人口があったとされる中世の京には川は少なすぎ、多くの人は川に面さない家に住んでいたと思われるのです。自宅に「川屋」を設置することは、ほとんどの人には不可能だったのです。

たとえば名だたる鴨川に突き出した便所を頭に浮かべてみましょう。それは美観からしても好ましくないし、鴨川の水面に自分の糞尿が落ちてゆくのを近所の人々や通行人たちに見られることは、みやこ人、特に女性には、恥ずかしいことこの上なく、耐えがたいことだったでしょう。

京には、そんな恥ずかしい「川屋」はなかったのだと思います。「川屋」が実在していたとしたら、それは人影まばらな田舎だったでしょう。しかしそんな辺鄙な土地の用語を、都びとが喜んで採用したとは思えないのです。

さらに言えば、半世紀くらい前まで大小便はきわめて重要な肥料でした。田舎に暮らす、生きることに必死な農民が、便を川に流すなどといった錯誤を犯すはずがない、と思えるのです。糞尿は田畑の糞壺などに大切に溜められていたはずです。
 
しかし①の「母屋のそばに建てた側屋(かわや)」。これならまだ大いに考えられます。実際、私の幼いころまでは、どこの家でもこういう便所でした。近年になって田舎にも下水道が整備され、水洗式トイレに替わるまで、日本の便所は住居のそば、外にある別棟の小さな家屋だったのです。

どちらかを選ぶなら「側屋」=「カワヤ」説の側につくべきでしょう。「側屋」なら、見苦しく、恥ずかしい「川屋」よりもっとクリーンな印象を与え、上品な女性でも行きやすく、口にしやすい表現だったでしょう。京の人々は、そばの家と呼ぶことで汚く臭い便所のイメージを隠ぺいしようとした。私にはそう思われるのです。

「チョーズ」とは何か?

「チョーズドコ」→「チョーズバ」→「チョーズ」の順に変化しつつ、京から広まったと思えるこの言葉群は、日本の広い地域を占めています。

「チョーズ」とは「手水」。今でも神社などの参拝で、柄杓に清水を汲み、手や口を清めます。このことを言います。文献に見るように、室町末には京で使われていた言葉です。

*御伽草子・酒茶論(古典文庫所収)〔室町末〕
「客はしばらくろじのてい、うゑごみやてうづばち、心をつけてかんじつつ」

「手水鉢(チョーズバチ)」は私の実家にもトイレの手前にありました。用を足したあと、ここの水を柄杓ですくい、手を洗ったものでした。それを便所の意に変えたのは、御所の女房たちであったことが、次の資料で分かります。

*女中詞(元祿五年)〔1692〕
「手水〈略〉小用に行事」

女中詞(じょちゅうことば)とは、女房詞(にょうぼうことば)とも言われ、「中世以後、宮中、将軍家などの奥向きに奉公する女性が仲間うちで用いた特殊なことば(『日国』)」です。女房詞は、ありがたく上品な言葉として、アッパークラスに奉公する女性たちによってまずは京の庶民層、特に女性たちに受け入れられ、やがて男性たちにも受容されていったのです。

分布図における「チョーズ」系の言葉の広がりの大きさから、17世紀末の文献よりもっと早く、16世紀あたりからこの意味は成立していたものと考えます。

「チョーズドコ」「チョーズバ」「チョーズ」……。本来の意味は「手を洗う場所」だったのに「便所」の意味に変革させるという発想は、今に言う「お手洗い」の場合と同じです。つまり、女房詞「手水」(チョーズ)の伝統が、新しい「お手洗い」に引き継がれたのです。これら品のいいと感じさせる言葉への変革は、女性たちの羞恥心や美意識に基づいて推し進められたのであろうと私には感じられます。

ところでわが家では、便所のことを「チョーズ」と言っていたのは、おばあちゃんだけでした。両親や兄弟は「ベンジョ」と呼んでいました。湖西唯一の高校、高島高校に入って、クラスメートの女の子のひとりが「オチョーズ」と言ったのを聞いて、これがまだ老人語・死語の類いではないことに気づきました。1965年のことです。

「カンジョ」とは何か?

「カンジョ」は、東は東北など、そして西は九州西部や南部に見られ、周圏分布しているところから、これも京から放射された言葉であると思われます。

「灌所」のこととされます。これすなわち、手を水で洗うところ。それが便所を意味したわけです。これも「チョーズ」「お手洗い」の系譜につながる言葉でしょう。 

「セッチン」「センチ」とは何か?

ほかにも便所を表す言葉があります。

「セッチン」→「センチ」の順に、それぞれが見事に周圏分布しています。
「センチ」は、「セッチン」の訛りでしょう。そして「セッチン」は「雪隠(セツイン)」の訛りなのです。では「雪隠」とは何でしょう?

雪でウンコを隠す?いや、それほど京では雪は積もりません。私には深い謎でした。そこで国文学探偵であるわが友、小竹哲氏に意見を求めました。こういう回答でした。

雪隠はキレイな表現ですね。私は雪隠の雪は snow ではなく、「すすぐ」の意味だと考えるのですが、いかがでしょうか。「雪辱を果たす」の雪と同じです。すなわち雪隠とは「すすいで隠す」という意味です。セツ+イン→セッチンで、水洗トイレっぽくて、いかにも清浄な感じがすると思うのですが、どうでしょう?

「すすいで隠す」という小竹探偵の言葉から、40年ほど前、タイ北部への一人旅で、田舎町で入ったトイレを思い出しました。排便したあと、バケツに入った水を柄杓ですくって便器の穴に流し込んでキレイにしてしまう、手動の水洗トイレでした。小竹探偵の意見は、いつも魅力的です。

現代語「便所」の出現はいつか?

おしっこのことを「小便(ショウベン・訛ってションベン)」と言いますが、この「小便」は漢語のようです。『日国』では、小便の古称「ゆばり」の項で、次のように記されています。

漢語の「小便(ショウベン)」も古代から用いられているが、一般語となったのは中世後期からか。

つまり「小便」は漢語であり、日本の古代の文献にも現れているが、それは知識人が認知していただけであり、世間の人々は日常では使っていなかった。庶民が実際にこれを使うようになったのは「中世後期」からの可能性がある、と辞書から読み取れます。この記述に従えば、「小便」とセットである「大便」もまた中世後期から世間で用いられた可能性がある、と考えられます。そして「大便」「小便」を使うようになって初めて日本では「便所」という呼称も広まったはずだと思われるのです。

文献には次のように室町中期に初出します。

*文明本節用集〔室町中〕
「便所 ベンショ」

古くは「ベンショ」と澄んで発音したようです。やがて「ベンジョ」と濁った時期あたりから、京から全国に向けて広まったものかと思われます。

「便所」。これは「大便・小便をする場所」と用途をあからさまにした言葉です。現代の感覚からすれば、これは排便の機能を隠すのが習い性の、日本人の伝統から逸脱した選択とも見られます。

しかし、そう考えるのは必ずしも正しくないのです。なぜなら、それまで日本人は、大便のことを「クソ」、小便のことを「ユバリ(変化してイバリ・バリ)」と言ってきました。この言い方は、中世後期以降の京の紳士淑女にとって、上品でカッコよかったでしょうか?

都びとは「クソ」「ユバリ」などを捨て、知識人、知的エリートのみが使う「大便」「小便」という漢語を新たに使うようになったのです。文化の先進国として輝いていた中国の言葉を使う。それは晴れがましく新鮮なことであり、「便所」という新たな呼び名の使用も、きっと上品でカッコよく見えたのに違いありません。

カッコよく見えたのには、さらに深く、漢字の本家の事情が関わっています。

中国では「便」とは、「便利」「簡便」「利便」などと使うように、本来は「都合がいい」という意味だったのです。それが同じ中国で、大小便の意味にも広がっていきました。排泄物を「便」、すなわち「都合がいいこと」と表現するのは、汚いものを品のあるキレイな言葉に置き換えたいとする中国人の意志が働いていたのだと思えるのです。

沖縄の「フル」とは何か?

沖縄県では本島だけでなく遠い南の八重山諸島に至るまで「フル」「プル」など「フル」系の言葉で占められています。沖縄語関係の辞書を読み解いてみると、「フル」は本土の「フロ」が、「オ」が「ウ」と発音される琉球の音韻規則に従って、「フル」と変化していたのです。沖縄の便所は「フル」、つまりもともとは「風呂」の意だと言います。

なぜ、沖縄で便所を「フル(風呂)」と言うのか?

『沖縄語辞典』と『琉球語辞典』を読んで分析すれば、次のようなことがわかります。

すなわち、20世紀の初頭まで、沖縄でも便所は住居から独立しており、石畳で囲ったものであった。大便は、その中で飼っていた豚のエサにしていた。「フル」とは、風呂であるとともに、さらには「風呂のように囲まれた建造物」である便所を意味する言葉にもなった、という訳です。

ここ琉球でも本土と同じく、用便の場所であると明らかにする表現はやはり使いたくなかったのです。本土の「手」を洗う場所にも似て、当地では「からだ」を洗う場所を呼び名にしたのです。この「フル(風呂)」は、「bathroom」(お風呂場)と呼ぶアメリカ人とまるきり同じ発想のものです。

ところで、「ふろ(風呂)」が京の文献に現れるのは、14世紀になってからです。当時の風呂は蒸し風呂です。14世紀以降の本土の「風呂」という言葉が琉球に伝わったのは、14世紀よりあとでしょう。琉球における日本語の歴史は奈良時代以前からのものです。その歴史からすると、「風呂」はかなり新しい表現です。1429年の琉球王朝の成立以降に「風呂」という言葉は伝わったのかも知れません。

しかも、これは琉球で独自に考案された便所の呼び名かと思われます。なぜなら本土には家庭で豚を飼う習慣はなく、したがって大便を豚に食べさせる習慣もなかったからです。

豚は本土からではなく、中国からもたらされました。中国では古くから各家庭の便所で豚を飼い、大便をエサの一部として与える習慣があり、「猪厠」(ちょそく)と呼ばれていました。この豚便所のシステムが琉球に伝わったのでしょう。しかし琉球の人々は、これをあえてキレイに「風呂」と呼んだのです。

本土だけでなく、こうして琉球でも、脱糞・放尿を隠ぺいし、恥ずかしくないキレイな表現にしたいという心の伝統持ち続けてきたのです。
 
さて以上が、近世までに生まれ広がった「便所」を意味する言葉の分析です。次週は「明治以降に広まった語」について分析することに致しましょう。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集