【エッセイ】ボケとツッコミの師匠バッテンさん
私は1972年4月に朝日放送に入社し、3週間余りの社内研修を経て、テレビ制作部に配属されました。
テレビ制作部内でもまた数週の研修を経て、お笑い専門のディレクター長崎直定氏の下でADとしてディレクター修業を受けることになりました。長崎さんは主に、なんば花月、中座などに出向いてテレビ収録を行っていました。長崎さんは、長崎という姓にちなんで、長崎の方言「バッテン」を生かして、周りからは「バッテンさん」という愛称で呼ばれていた、30代半ばの人でした。
あるときなんば花月の幹事室